<未来に伝える沖縄戦>母を奪った艦砲の雨 南城市の大城ウメ子さん(77)


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戦争当時のことを語る大城ウメ子さん=南城市玉城字前川

 戦争の時は小学生だった。お父さんは兵隊に取られていたから、お母さんとお母さんの親と、きょうだい6人で逃げた。一番下の弟・吉男はまだ10カ月。私は上から2番目で一番上のお兄さんは6年生。

 このへんは雨のように弾が落ちたさ。艦砲(軍艦からの砲撃)は港川の海からも与那原の海からも糸満の海からもひゅーひゅー落ちて。
 《米軍の上陸が予想された八重瀬町港川に近い南城市前川は、日本軍の部隊が置かれ、たくさんの兵隊がいました》
 日本兵のことは最初は怖いとは思わなかった。私たち子どもが「兵隊さーん」と呼ぶと、乾パンをくれよった。私たちはうれしいから、何度も呼んだ。
 前川公民館の近くに兵隊の壕があった。戦争が始まって私たちもその壕に入ったんだけど、ある日、吉男が泣いたわけ。お母さんのおっぱいが出なくなって、ひもじくてずっと泣いていた。すると日本の兵隊が「こっちから出ないと鉄砲でやるよ」と壕を出るように言った。
 「こっちにいたら大変」と家族全員壕を出て、島尻に下がった。

※続きは9月10日土曜日付紙面をご覧ください。
 次回は9月24日土曜日です。