<未来に伝える沖縄戦>戦闘機には青年たち 今でも思い出す/仲里茂直さん(84)


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仲里茂直さん(右)の話を聞く島敬人君(中央)と内間英之君=14日、今帰仁村の越地公民館

 今帰仁村に住む仲里茂直さん(84)は沖縄本島北部で戦争を体験しました。本島北部では深い山の中でゲリラ戦が行われました。仲里さんの体験を北山高校の内間英之君(16)=2年=と島敬人君(18)=3年=が聞きました。

 戦争当時は17歳だった。今帰仁村の越地で、お父さんとお母さんと、四つ歳下の弟と、親戚の女の人2人と一緒に住んでいた。

 《沖縄戦が始まる前の1943年、伊江島飛行場建設が始まりました。県内各地から1日平均数千人が動員され、国頭郡の青年のほとんどが集められました》

 青年学校では三つの班に分かれて伊江島の作業に行くわけ。(各班が)15日交代で向こうで作業をする。15日作業したら、次の班の番が来て。全部で15回行った。

 小さな線路グヮー敷いてこれに箱を載せて、みんなで耕して土を入れる。土を運んで、くぼんだ所に入れて整地する。食べ物もないから各集落から強制的に徴収するわけ。食べ物にギンバエとかウジ虫がゴチャゴチャして、あんなもの食べてよく生きられたなって思うくらい。

※続きは10月22日(土)付紙面をご覧ください。