<未来に伝える沖縄戦>「死んだら靖国に来て」 富山貴久子さん(84)(上)


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 那覇市の富山貴久子さん(84)は、沖縄戦当時、沖縄守備軍の第32軍司令部で軍属として働き、軍と一緒に行動していました。富山さんの体験を那覇高校2年の三津井幸代さん(17)、門脇ゆりなさん(17)が聞きました。
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 1944年3月、沖縄に32軍司令部ができたわけ。司令部の中に兵器部とか経理部とかあった。私はタイピストの資格があったので、7月から兵器部で和文タイピストとして働いていた。和文タイプは、今のパソコンみたいなもの。兵器部の仕事は各部に兵器の割り当てなどをすることだった。
 兵器部は(那覇市)大道の今の栄町市場の辺り。そこに女子師範と第一高等女学校があって、校舎の一部に軍司令部の兵器部とか経理部が入ったの。私の他には女子職員は4人いた。当時は軍事一色。軍属マークに憧れてね。従軍看護婦も人気があった。

※続きは1月28日付紙面をご覧ください。