<未来に伝える沖縄戦>兵隊が銃を突き付けて 久保田千代子さん(90)上


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 糸満市米須の久保田千代子さん(90)は沖縄戦当時23歳で、摩文仁国民学校(現在の米須小学校)の教員でした。米軍の激しい空襲や砲撃にさらされ、壕や墓の中に避難した末、米軍に捕まりました。久保田さんの体験を、糸満市立潮平中1年の安田菜穂さん(13)、金城夏乃さん(13)が聞きました。

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 米軍が米須を空襲したのは1945年3月23日、摩文仁国民学校の卒業式の日だった。式の後、夜だったと思うが、空襲警報のサイレンが鳴り響いた。
 具志頭の港川方面から空襲が始まり、米須の海岸からも艦砲射撃の弾が飛んで来た。住民もそれぞれの壕に入って避難したが、無数の弾が飛んできて壕に入れない住民もいた。住民は逃げ惑い、右往左往していた。

※続きは2月11日、12日付の紙面をご覧ください。