<未来に伝える沖縄戦>身内死んでも涙出ず/大城正祺さん(79)下


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米軍から逃げる途中、親戚や祖母が亡くなった体験を語る大城正祺さん=4日、豊見城市の金良公民館

 《大城正祺さんたち豊見城村(とみぐすくそん当時)金良の住民は、高嶺村国吉(現糸満市)の集落にたどり着きます。しかし、近くの与座岳や八重瀬岳に多くの日本兵がいたことから、国吉も、米軍の艦砲射撃がやみませんでした。大城さんたちは「ここには、いられない」と、高嶺村真栄里を目指します》

 真栄里に行き、僕と母でご飯を作るか何かで、東川に水をくみに行った。家族の元に戻ろうと歩いていると、黄リン弾が頭の上で破裂してね。今の花火に似ているのよ。つぶつぶの花火が落ちてきて、火傷する。うちの母のところにも、いっぱい落ちてね。母が12年前に亡くなって、風呂を浴びせる時に初めて見たけど、背中は(火傷で)真っ白だった。
 真栄里では、瓦家に避難しようとしたんだけど、先に入っていた人の中のおばあさんから「今でも足を伸ばして寝ていない。あんた方は、どこかに行きなさい」と言われてね。門のところにヒージャー(山羊小屋ごや)があったので、そこに入った。
 そうすると、瓦家の方の台所に弾が落ちてね。瓦家にいた人たちはみんな即死。僕らのグループも、爆風でいとこと父方の祖母が亡くなった。シャベルもくわもないから、埋めることもできない。その家の前の畑に3人ともはわせて、後で見分けやすいようにと、石を背中に置いた。

※続きは6月10日付紙面をご覧ください。