<未来に伝える沖縄戦>目の前で兄を亡くす 大城春子さん(84)上


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大城春子さん(左)から南部一帯を逃げ回った戦争体験を聞く玉城中2年の古波津愛美さん(中央)と入池原笑弥さん=10日、那覇市泉崎の琉球新報泉崎ビル

 那覇市国場に住む大城春子さん(84)は、大里村与那原(現在の与那原町)出身で、沖縄戦当時、米軍から猛烈な艦砲射撃を受けた同村から南部一帯を逃げ回り、摩文仁村(当時)で米軍に捕まりました。逃げる中で兄が砲弾の破片を受けて亡くなり、自身も破片を足に受けて大けがをするなど、つらい体験をしました。南城市立玉城中学校2年生の古波津愛美さん(13)と入池原笑弥さん(13)が、涙ながらに語る大城さんの体験を聞きました。

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 沖縄戦のときは17歳だった。米軍が上陸してきて、戦争がもう那覇市の近くまで来ているという話を聞いたのは4月15日ごろ。与那原にいては危ないということで、母と兄、弟、二人の妹と一緒に大里村の平良という所を通って東風平に行くことになった。
 一番下の妹は7歳だったから、母がおんぶしていた。東風平に向かう途中で日本兵と女子学徒たちに会った。兵隊の一人が苦しそうに母に「おばさん、その子を下ろして僕をおぶってください」と言うわけさ。けがをしていたんだはず。母は「私はおんぶできないよ」と断ったけど、学徒たちが励まし続けていた。

※続きは7月14日付紙面をご覧ください。