<未来に伝える沖縄戦>ガマ生活で餓え我慢 平良節子さん(75)下


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戦争の残酷さを、戦争体験のない子どもたちに語り継いでいきたいと話す平良節子さん=11日、那覇市首里石嶺町

 《祖母と叔母と離れ、古知屋(現宜野座村松田)での生活が始まりました。平良さんは母親と弟と共に、ガマでの生活を余儀なくされました》

 初めは民家の納屋を借りて住んでいたけど、危ないということで、大きなガマでたくさんの人と住んだ。食料もなくなって、かつお節1本をしゃぶった。夜になると母が「我慢しようね」と言って、歌を歌ってくれた。
 ガマには日本兵もいた。夜、赤ちゃんが泣いたから、日本兵が「あやしてくる」と言って赤ちゃんを母親から取り上げて外に連れて行って、帰りは1人で帰ってきた。赤ちゃんの母親が「さちこ、さちこ」って気が狂ったように泣いていた。何も罪のない赤ちゃん。おなかがすいて泣いたんじゃないかな。日本兵に詰め寄って泣いていた母親の光景が忘れられない。母は私に「我慢しようね。泣いたら駄目よ」と言った。

※続きは9月23日付紙面をご覧ください。