《祖母と叔母と離れ、古知屋(現宜野座村松田)での生活が始まりました。平良さんは母親と弟と共に、ガマでの生活を余儀なくされました》
初めは民家の納屋を借りて住んでいたけど、危ないということで、大きなガマでたくさんの人と住んだ。食料もなくなって、かつお節1本をしゃぶった。夜になると母が「我慢しようね」と言って、歌を歌ってくれた。
ガマには日本兵もいた。夜、赤ちゃんが泣いたから、日本兵が「あやしてくる」と言って赤ちゃんを母親から取り上げて外に連れて行って、帰りは1人で帰ってきた。赤ちゃんの母親が「さちこ、さちこ」って気が狂ったように泣いていた。何も罪のない赤ちゃん。おなかがすいて泣いたんじゃないかな。日本兵に詰め寄って泣いていた母親の光景が忘れられない。母は私に「我慢しようね。泣いたら駄目よ」と言った。
※続きは9月23日付紙面をご覧ください。