<未来に伝える沖縄戦>住民殺害前に現場目撃 仲村実男さん(81)下


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「旧日本軍の基地があったから沖縄は戦争に巻き込まれた」と語る仲村実男さん=17日、国頭村の辺土名公民館

 《1945年4月1日、本島に上陸した米軍は、国頭にもやって来ました。米軍は辺土名に駐屯、住民らは山奥へ逃れました》

 辺土名から8キロほど山奥に行った伊地グマーリ(合流点)に家族と避難した。栄養不良で骨と皮みたいになった体で、毎日8キロも山を上り下りして辺土名の畑からイモを運んだ。足が体重を支えきれなくて下る方がきつかった。そんな中、ついに辺土名から犠牲者が出た。ホーチの畑でおじいさんと小学5年の孫が亡くなった。

 《国頭の山には村民や避難民、日本の敗残兵約3万人が逃げており、人々の飢えと疲労は極限に近づいていました。45年7月上旬、山奥の宇良グマーリで、辺土名住民2人が米軍に射殺されました》

 宇良グマーリの近くを歩いていると「上の方にアメリカー(米兵)がいるよ」と2人の男の人が駆け下りてきた。怖くて隠れていると、ザルを背負った上門のおばさんが来たのでついて行った。

※続きは10月28日付紙面をご覧ください。