<未来に伝える沖縄戦>「戦場の恐怖、後世に」 仲里ハルさん(86)下


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
「戦争の恐ろしさやむなしさは何とも言えない」と悲痛な表情で語る仲里ハルさん=10月31日、那覇市松尾の仲里さん宅

 《5月下旬、豊見城市の第24師団第二野戦病院壕にも米軍が迫り、小池勇助隊長から学徒たちに南部撤退が言い渡されました。学徒25人は糸満市にある糸洲の壕へ歩いて移動しました。6月中旬、糸洲の壕は米軍の激しい攻撃に遭い、学徒たちは苦しみました》

 「あと1週間くらいでここは爆破されるから君らは安全な南部に撤退しろ」と隊長殿が言った。25人の学徒のほかに兵隊さんたちも入れて糸満の糸洲に移動した。糸洲は防空壕じゃない。自然のガマ。中の様子は口でも言えないくらい。中に座っていると入り口で米軍の黄リン弾が爆発した。酸素を吸うと死ぬ。でも吸わないと生きられない。タオルと水を顔に当てて1日に2時間か3時間はこうして(口と鼻にタオルを当てるしぐさ)過ごした。生きたんですよ、それで。1人も犠牲者は出なかった。

※続きは11月11日付紙面をご覧ください。