<未来に伝える沖縄戦>銃撃、悔い残る友達の死 中田秀雄さん(84)下


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「戦争を起こしてはいけないという思いは人一倍強い」と語る中田秀雄さん=12月11日、沖縄市美里の自宅

 摩文仁では崖の割れ目に隠れていた。目の前は海で敵の軍艦が取り囲んでいた。「国頭村から武部隊(第九師団)が上陸するぞ」。日本軍の上官が言い回っていた。武部隊は沖縄戦が始まる前に、沖縄から台湾に移っていた。とても強いと聞いていたから「助けに来てくれた」と思ったんだ。

それで師範学校の仲間4人で国頭村を目指し、旧具志頭村の海岸をつたいながら玉泉洞を通って旧玉城村垣花(現親慶原)に入った。武部隊の上陸はデマだったと後で分かったがね。
 垣花の田んぼで、大きな銃の音が響いた。(一緒にいた)4人のうち2人が米兵に襲撃された。振り返ったら、私と先輩の安繁さんしかいない。死体の確認をせず、無我夢中で逃げた。自分の命は自分で守ろうとしたわけ。おんぶしては逃げられなかったから。友達を見殺しにしてしまった。南部へ撤退するときから「歩けなくなったら、お互いに放っていこう」と約束していた。「一人のために全員がやられるよりは誰かは生き残ってほしい」とみんな考えていたんだ。

※続きは12月23日付紙面をご覧ください。