<未来に伝える沖縄戦>収容所で青空学校 平田照子さん(75)下


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収容所での体験や父との再会のエピソードを振り返る平田照子さん=1月25日、沖縄市知花

 《米軍が本島に上陸して2日目の4月2日、平田照子さん一家は旧美里村知花の壕で家族と米兵に捕らえられました》

 私たちは米兵に連れられて旧北谷村砂辺の収容所に行きました。砂辺には4、5日しかいなかったと思います。それから島袋(現在の北中城村島袋)の収容所に移ります。

 島袋では海が見下ろせ、海には米軍の船がぎっしり埋まっていました。そこから艦砲射撃をやるでしょ。私たちは子どもだったから、その様子を見に行って面白がっていたので、よく叱られました。
 ここでは米兵が女性を乱暴しようとすることがありました。旦那さんがいる家などでは床下に妻を隠すなどして難を逃れることもありましたが、私たちの隣に住む女性が被害に遭いました。そういうことがあったから、夜は近くの女性を一カ所に集めて、男性たちが警備していました。その後、米兵が来る時には鐘を鳴らして注意を呼び掛けるようになったので、その後、事件は起こらなくなったと聞いています。
 島袋には1カ月ほど滞在したでしょうか。その後は福山(現在の宜野座村)に移りました。福山には青空学校があったのですが、鉛筆も帳面もないので地面に書いて覚えるなどして勉強は大変でした。

※続きは2月10日付紙面をご覧ください。