<未来に伝える沖縄戦>「捕虜に」と言った青年、日本兵に首を切られる 仲程シゲさん(83)下


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自身の戦争体験を振り返り「命ほど大切なものはない」と語る仲程シゲさん=4月15日、南風原町立中央公民館

 《1945年6月、当時15歳の仲程シゲさん(83)は家族や親戚と共に摩文仁村摩文仁(現糸満市)へと追い詰められました》

 摩文仁に21日の晩に着いた。14~15人の親戚らしい人々がいた。死んでいる人、けがをしている人、両手合わせて「兵隊さーん、一発の弾で殺してください」と泣きながら叫んでいる人たちを見た。

 今の県平和祈念資料館のそばを通ってね。みんな死体だった。内臓も腐敗して、男女の区別も分からない。腐敗の臭いは大変だった。ヨモギの葉っぱを鼻の中に入れても収まらない。あの姿はどんなに私が話しても理解できないと思う。本当に地獄絵だった。この世の地獄だった。
 なぜかみんな摩文仁に追い詰められた。袋のねずみの状態で八方ふさがり。沖縄出身の若い青年がふんどし一本になって「米軍に捕虜なったら食べ物もあるから、捕虜になろう」と言った。すると日本兵2人が出てきて、スパイだと日本刀で首を切った。血が飛び散ってね。私たちは右往左往ですよ。

※続きは5月12日付紙面をご覧ください。