《戦火がますます激しくなる中、大城実さん(78)は母と姉と一緒に、爆撃の激しい高嶺村(現糸満市)国吉の坂を上り、さらに南へと進みました》
村外れに砂糖小屋があったので、そこに入れてもらった。6月18日にバックナー(中将)が戦死し、その2、3日後、報復攻撃のような形で空からも海からも爆撃があった。朝から砲弾の音が聞こえ、音はだんだんと近づいてくる。こっちにやって来るぞとみんな覚悟していた。
母は「危ない」と僕の頭の上に覆いかぶさった。妙な感じがした。左足を伸ばすと、太ももに突き刺さった破片の先端が向こうずねから出ていた。手は血だらけ。足の下は骨が全部砕けていた。当たったときはあれっと思ったくらいだったが、血を見て痛くなった。多分、その痛さが僕をもう一度人間的な感情に取り戻したんだろう。痛いから早く死にたいと思った。
母に「母ちゃん、早く猫いらず(殺鼠剤)を3人で飲んで死のう」と言い続けた。一緒にいた大叔父が「どうせ死ぬなら自分の墓に戻って死のう」と言い、墓に行くことになった。母と姉が担架を作って僕をかついで歩いていたら、糸満入り口で米軍に捕まった。大きな船に乗せられ、母の話によると、泡瀬に上陸した。僕と姉はコザの病院に、母は収容所へ連れて行かれた。
※続きは6月9日付紙面をご覧ください。