子の犠牲「二度と」 米軍機墜落54年 宮森小慰霊祭


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犠牲者18人の名前を刻んだ仲よし地蔵に花を手向け、「二度と同じような事故を起こさない」と誓う参列者ら=6月30日午前、うるま市石川の宮森小学校

 【うるま】1959年に米軍ジェット機が、石川市(現うるま市)の宮森小学校に墜落した事故から54年となった30日、同校で事故の犠牲者18人を追悼する慰霊祭(NPO法人石川・宮森630会主催)が開かれた。

遺族をはじめ、子や孫を連れた当時の在校生、地域の住民ら約350人が参列。犠牲者の冥福を祈り「悲惨な事故を繰り返させない」と誓った。
 事故の犠牲になった児童や住民ら18人の名前が刻まれた「仲よし地蔵」に花が手向けられ、参列者は米軍機が墜落した午前10時40分、平和の鐘が鳴り響く中、黙とうをささげた。
 豊濱光輝会長は当時の事故の状況を振り返り「沖縄戦の延長線上に起きた事故だ。なぜ戦後14年もたって、死ななければならなかったのか」と、犠牲者の無念の死を悼んだ。「本土の人々は安保条約に守られ、ここ沖縄では安保条約の下、集中する米軍基地から身を守るために頑張っている」と「戦後68年の矛盾」を訴えた。「私たちは、子どもを犠牲にする世の中をつくってはいけない」と呼び掛けた。
 島袋俊夫うるま市長はあいさつで「県民は、戦後も米軍基地の存在に脅かされている。このような事故を二度と起こしてはならない」と述べた。
英文へ→54th anniversary memorial ceremony of U.S. military jet crash onto Miyamori Elementary School