お年寄り 輝く笑顔 きょう敬老の日


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 きょう16日は「敬老の日」。難病にも負けずに生きがいを見いだしたり、子どもの安全を守る奉仕活動にいそしんだりと、沖縄のお年寄りたちは元気そのものだ。屈託のない笑顔は地域を明るく包み込み、子や孫たちと触れ合うことで気力も体力もますます充実しているようだ。

◆80歳 病負けず筋トレに汗 松田トキ子さん(浦添市)
 浦添市の松田トキ子さん(80)は同市屋富祖の浦添ボディビルセンターに約30年通い健康維持に励む。失明の可能性もある難病「網膜色素変性症」を患いながらも、トレーニングする表情は明るく、はつらつそのもの。軽々と10キロ以上の負荷を掛けてスクワットやベンチプレスをこなし、さわやかに汗を流している。
 50歳のころ、近所にある浦添ボディビルセンターに入会。当時、女性会員も多く、彼女らの刺激を受け、トレーニングに打ち込んだ。「周囲に支えてもらいながら通い続けていたら、体力も筋力も少しずつ付いてきた」。
 健康な生活を送っていたと思えたが、60歳をすぎ、網膜色素変性症を患っていることが分かった。「5年で失明するかもしれない」。医師の厳しい言葉に、目の前が真っ暗になった。
 「見えなくなる。どうしよう」。ふさぎ込み、一時はジムを離れた。だが仲間やジムで指導する新垣清喜さん(72)の励ましもあり、復帰を決意した。「汗を流すことが気持ち良かった。何よりもトレーニングに集中することで前向きになれた」。病の影響で視力は0・02まで落ちたが、目の光りは診断から20年経ても失われず、月1度の定期検診でも現状を維持している。
 「目が悪くてどこへも行けないが、それ以外は30年健康に過ごすことができた。動ける限りは毎日ジムに通いたい」

◆89歳 毎朝、安全呼び掛け 酒井健義さん(中城村)
 中城村の津覇小学校前には毎朝子どもたちの登校を見守る「名物おじいちゃん」がいる。交通安全指導員の黄色い帽子とチョッキがトレードマークの酒井健義さん(89)=同村=だ。
 区の交通安全指導員として活動を始めて7年。子どもたちの安全を思い、雨の日も風の日も歩道に立ち続けてきた。酒井さんが「おはよう。きょうもいってらっしゃい」と声を掛けると、眠そうな子どもたちにパッと笑顔の花が咲く。「たまに用事で姿を見せないと、子どもたちが『酒井のおじいちゃん、体悪いの』と心配して家まで来てくれるんだ。子どもたちに元気をもらっているよ」と声を弾ませる。
 宜野湾市の市議会議員を5期20年務めた後、2003年に中城村に住まいを移した。現役時代は家族に「下宿人」と呼ばれるほど、仕事に忙しく飛び回っていた。
 無理がたたり大病を患ったこともあるが、妻・敬子さん(78)が作るバランスの取れた食事と規則正しい生活で健康を取り戻した。現在は午前3時半に起床し、ウオーキングと公民館の水まきをした後に交通安全指導に立っている。
 昨年開かれた88歳のトーカチ祝いでは、集まった家族の前で「100歳まで元気に生きる」と宣言した。
 好きな言葉は「継続は力なり」。今、交通安全指導員を続ける姿を子どもたちに見せることで、人生の教訓を伝えている。「子どもたちと触れ合うことが幸せ。これが健康の一番の秘訣(ひけつ)だよ」と笑顔で語った。

難病を患いながらも、新垣清喜さん(左)の指導の下、トレーニングに励む松田トキ子さん=13日午前、浦添市屋富祖
交通安全指導員の酒井健義さんと中城村立津覇小学校の子どもたち=10日、同小学校前