<未来に伝える沖縄戦>銃撃遭い散り散りに 城間美津子さん(79)〈6〉


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
「戦争は絶対にしてはいけない」と語る城間美津子さん=3月11日、那覇市内

 《米軍が沖縄本島に上陸したことで城間(旧姓・棚原)美津子さんは一家で南部方面へ避難を始めました》

 (糸満市)摩文仁のあたりを逃げていた時、山のような場所に地域の人が掘った壕があった。家族で隠れ、お父さんとお母さんが取ってきたイモを食べようとお湯を沸かしていた時だった。

山に爆弾が落ちて、私たちは衝撃で体が浮き、土の中に落とされた。胸まで土に埋まってしまい動けなくなった。
 一緒に逃げていた親戚やほかの家族の声が聞こえたので「助けて」と叫んだ。手を引っ張って1人ずつ助けてもらい、家族全員が助かった。けれど、お父さんがお湯を足にかぶってしまい大けがをしてしまった。すごく心配だった。「うー」とうなるだけだった。

《九死に一生を得て、避難を続けた城間さんですが、摩文仁で父・盛慶さんとの突然の別れがやってきました》

 大けがをしたお父さんはお母さんの肩を借りながら、木をつえ代わりに歩いて、一緒に逃げた。
 6月20日の夜、米軍の銃撃に遭った。突然のことでみんなバラバラに逃げてしまった。その後、みんなと会うことはできたが、お父さんと会うことはできなかった。ウージ(サトウキビ)がいっぱいあって、隠れるように歩きながら、お父さんをみんなで捜していた。するとウージの葉が動いて、米兵が銃を構えてやって来た。母が「助けて」とお願いすると銃を下ろしてくれた。米兵の中に日本語を知っている人がいて保護された。
 銃撃でお父さんと離れ離れになったことを伝えると、米兵2人と日本語の話せる人が、姉の春子を連れて捜しに行ったが見つからなかった。保護されて具志川村前原(現在のうるま市)の収容所に移動した時も捜したが、見つからなかった。

※続きは4月26日付紙面をご覧ください。