放課後、那覇高校からバスで浦添市小湾に向かう。臨海地区にある閑散としたその場所で、ひときわ目立つコンクリート造りの建物が目に入り「ワクワクしました」。それが金城真次(36)と国立劇場おきなわの出合い。新たな劇場に心を躍らせていた高校生は、同劇場の組踊研修生を経て、現在、芸術監督として劇場にいる。
金城が琉舞教室に通い出したのは4歳の頃。幼少から大人並みの所作で踊る姿は県内メディアからも注目され、テレビにも出演した。周りからは「天才児」と呼ばれた。
高校1年生の時、国立劇場おきなわの開場記念公演として2004年3月に上演された「万歳敵討」できょうちゃこ持ち役を務めたのが組踊デビューとなった。金城が初めて劇場を訪れたのはその稽古からだ。「稽古室がたくさんあってとにかく立派」と記憶している。登壇したのは前にせり出したオープンステージの大劇場。圧倒された。「今では慣れましたが、横からも見られて当時は緊張しましたね」と苦笑いする。「先輩たちが試行錯誤しながら積み上げていくのを間近で見ることができました」。この経験が、金城を組踊の世界へとさらに導いた。
組踊の立方不足という長年の課題を克服しようと、同劇場は05年から組踊伝承者養成研修を導入する。当時高校3年生の金城は迷わず応募した。研修は月~木の午後6時半から午後9時45分まで。「まさに組踊の部活でした」。講師は、人間国宝の宮城能鳳、島袋正雄、照喜名朝一など、そうそうたる顔ぶれだった。
立方の研修生は金城を含め、金城より年上で経験もある佐辺良和や川満香多の3人だ。組踊の実技から歴史などの座学まで。3人で役を交代して演じることもあった。相手のせりふも把握すること、おろそかになりがちな歩みの大切さ。「(所作は)自分の体からいつでも出てくるようにする。先生からも先輩からも学べたので一番得したかも」と笑った。
県立芸大に進学し、その後も芸能一筋。組踊だけでなく沖縄芝居の役者としても腕を磨いてきた。
実演家や沖縄芝居の演出を手がけた経験も買われ、22年4月には34歳で同劇場の芸術監督に就任した。企画や演出に奔走する日々だ。「舞台を支えている人たちの仕事を学ばせてもらっている」
金城は新たに「新進男性舞踊家の会」など、若手舞踊家の活躍につながる企画などを手がけてきた。
20年を迎えた劇場に「小さな島にこれだけたくさんの芸能がある。余すことなく“沖縄の香り”を今を生きるみなさんに感じてほしい。若い実演家たちから、この舞台に立ってみたいと思ってもらえる劇場にしたい」。瞳を輝かせた。
(田吹遥子)
国立劇場おきなわが開場して18日で20年。劇場で育った演者たちが、今や沖縄の伝統芸能の中心的存在となっている。継承の歩みと劇場の課題、展望を探る。