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<映画「八月十五夜の茶屋」と今の沖縄の現実>又吉栄喜 占領の本質を表現 「のらりくらり」が痛快


<映画「八月十五夜の茶屋」と今の沖縄の現実>又吉栄喜 占領の本質を表現 「のらりくらり」が痛快 1954年4月21日基地内の瑞慶覧劇場で上演された戯曲「八月十五夜の茶屋」(琉球放送提供)
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 68年前の1956年に制作された映画「八月十五夜の茶屋」の上映会とシンポジウムが那覇市で開かれる。沖縄をモチーフにした同映画のパラドックスは「今の沖縄の現実を浮き彫りにしている」と語る芥川賞作家の又吉栄喜さんに、寄稿してもらった。

 映画「八月十五夜の茶屋」が初上映された東西冷戦の時代は、世界が核戦争の一触即発の危機にさらされていた。米兵の犯罪も頻発し、沖縄の人の「反戦」「反米軍基地」闘争は島中が熱を帯びていた。

 映画は時代と共に人間を考えさせる。戦争や軍隊の危機や残酷を生々しく演じても、危機や残酷から目を背け、生きようとする観客には強く伝わらない危惧もある。

 (世界的作家のスナイダーと並べるのはおこがましいとも思うが)米兵が主人公のある沖縄文学(小説)が英訳された時、アメリカ本国では「こんな異常な精神の脆弱なアメリカ兵はいない」などの批判があったという。「八月十五夜の茶屋」は沖縄では「米軍統治の状況下、こんな荒唐無稽のアメリカ人はいない」など抗議の声は上がらなかっただろうか。

 登場人物たちは一人残らずスローモーションのような動きをしているように感じられるし、シチュエーションが白昼夢のようでもある。マーロン・ブランドのような人物が現実にいるはずはなく…この映画はある時代、ある場所を表現しているというより、あらゆる時代やあらゆる場所の占領と被占領の本質を表現している。

 19世紀半ばから帝国主義時代に入り、あっという間に世界中に植民地がつくられ、占領が行われた。被占領者の反乱が繰り返され、植民地をめぐる世界の列強の戦争が勃発した。第二次世界大戦後に多くの国が独立を果たしたが、未だに世界では「占領」をめぐる戦いが続いている。

 権力者の言う民主主義とは一体何なのだろうか。この映画の沖縄の人々は「軍人らは民主主義を教えるなどと言っているが、軍事教育をしようとしている」と見抜き、「人生は茶屋を造り、平和を楽しむべきだ」という人生哲学に目覚めていたのでは?

 軍隊は占領地、植民地の文化をまず潰そう、或(ある)いは軍隊に都合がいいように改変しようとする。

 先の沖縄文学の後書きには「沖縄の場合はウタキ、ユタ、ウチナーグチ、ユイマール(共同体)なども徹底的に抹殺される」と書かれている。

 洗脳とか懐柔とかカムフラージュなどは過去も現在も未来も占領の常套(じょうとう)手段だと思える。この映画の登場人物(米兵も含めた)たちは「やすやすとだまされません。私たちは本当の生き方をします」と悠然と構えているようにも思える。言いなりにならず、のらりくらりする沖縄の人に占領軍の上層部は頭が沸騰しているだろうが、「人の頭はコントロールされません。またすべきではありません」という信念を沖縄の人々は後生大事に抱いている。

 琉球王国時代から沖縄の人々はつかみどころがない、いささかうすのろのようだが、もしかすると強大な権力をかわすための演技では、とも考えられる。表層ではなく沖縄の人の底力を思い知らしめている。人間が普遍的に持っている知恵、欲などを遺憾なく、ストレートに表現している。神経過敏な現代人のような萎縮がなく、大胆に天衣無縫に生きている。

 人間(沖縄の人)の愚かさではなく、占領(軍)の愚かさが見る人に迫ってくる。

 「学校建設より茶屋を」というのがテーゼになっている。茶屋(スナイダーは辻遊郭などを想定したと思われる)は琉球民謡、琉球舞踊、お茶、琉球料理、泡盛などの文化でもある。民俗、年中行事、祭りなども反映されている。「民主主義」を根底から支えているともいえる。

 一方、米軍が建設しようとする「学校」は軍事教育の恐れもある。ヨーロッパ列強がアジア、アフリカ諸国を植民地にした時代、旧日本軍が南洋群島などを統治した時代、このような国々は占領地の人々に「教育」を徹底的にしみこませた。

 畑仕事をすっかり忘れたかのように茶屋の建設に熱中する男たち、アメリカ人の上官を手玉に取るようにもてなす女たち。小さい島の人間が世界一の大国アメリカを向こうに回し、がっぷり四つに組んでいる。

 人々の勇気や力を失わせ、思いのままに操縦するのが占領軍の狙いのはずだが、なぜか映画を観た後、勇気や力が湧いてきた。

 しかし、世の中に占領があるかぎり、「八月十五夜の茶屋」のテーゼはいつまでも続くと思われる。

 映画の中の人々に今の沖縄や本土の人たちは考えや行動が試されていると言える。 (作家)


26日に上映会とシンポジウム

 「八月十五夜の茶屋」はヴァーン・スナイダー原作の小説。1951年に出版され、翌52年に戯曲化、56年に映画化された。終戦直後の沖縄の架空の村を舞台に、沖縄に進駐して民主主義の思想を広めようとするアメリカ軍と沖縄住民との交流を描いた喜劇。映画上映会とシンポジウムが26日午後1時から那覇文化芸術劇場なはーとで開かれる(募集定員に達したため受付は終了した)。

 今回の企画者でフリーアナウンサーの宮城さつきさんは「小説・戯曲・映画、終戦直後の世界的話題作『八月十五夜の茶屋』。1954年4月、沖縄でも戯曲が基地内で上演され、その後那覇公演も予定されていたが、一部から『沖縄人を侮辱している』との声があがり幻と消えた。あれから70年、同じ作品を見たうちなんちゅは何を思うのか…。映画の無料上映&シンポジウムでざっくばらんに語り合いたい」と企画意図を語った。