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開催きっかけは「首里城の焼失」 故宮博物院で初琉球展 なぜ台湾で? 南院トップ2の鄭永昌氏に聞く


開催きっかけは「首里城の焼失」 故宮博物院で初琉球展 なぜ台湾で? 南院トップ2の鄭永昌氏に聞く 初公開される貴重な器物「右旋白螺(ヨウ・シュエン・バイ・ルオ)」は身を守る「霊物」として冊封使の趙文らに与えられていた
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 琉球王国約500年の歴史が一挙に見られる特別展「万国津梁―東アジア海上の琉球」が12月1日まで、台湾の嘉義県にある故宮博物院南院で開かれている。初開催に伴い、同展の責任者で南院処の鄭永昌(ゼンヨンチャン)副処長に、台湾での開催意義や同院にとっての沖縄の位置付けなどを聞いた。 (聞き手・呉俐君)


台湾の故宮博物院で初開催する特別展「万国津梁―東アジア海上の琉球」の責任者で、南院処の鄭永昌副処長=6日、台湾の故宮博物院南院

 ―台湾開催の意義は。

 「近年、沖縄を訪れる外国人観光客の中で、台湾が最も多くを占めている。台湾の人々にとって、沖縄には濃厚な華人文化や中国の伝統的な雰囲気が色濃く残っているため、沖縄を訪れると、まるでもう一つの故郷に帰った感覚を覚える。台湾の人々が沖縄に行く際、特に隔たりもないのだろう」

 「両地域は隣接しているが、台湾の人々が沖縄の歴史についてどの程度理解しているか疑問がある。そのため、今回の琉球展は沖縄を紹介するという意味で非常に価値がある」

 ―開催のきっかけは。

 「構想は2006年ごろまでさかのぼる。当時の林曼麗(リンマンリ)院長やその後の馮明珠(フォンミンズウ)院長なども開催の意向はあったが、海外から展示品を借りるなどたくさんの複雑な手続きがあったため、なかなか実現できなかった」

 「そんな中、19年に首里城が焼失した。それが開催に向けた大きなきっかけの一つとなった。台湾の人々にとって、よく訪れる観光地が消失するのはとてもショックなことだ。しかし、これが逆に沖縄の歴史に対する好奇心を引き寄せた」

 「19年ごろから、当時の呉密察(ウミチャ)院長は琉球展の開催準備に着手したが、その後、新型コロナの影響で延期となった」

フランス籍の宣教師が執筆した「中国回顧録」に基づいて描いた琉球の地図を説明する鄭永昌副処長

 ―故宮にとって沖縄とは。

 「故宮の収蔵品は約70万点ある。そのうち沖縄の関係文物は約千件。数からみると決して多くはないが、中国明・清時代の他の属国の収蔵品件数と比べると断トツに多い」

 「当時、中国は琉球国を礼遇していたことも研究で分かった。中国と琉球は特別な友情があり、琉球は中華文化を体現する役割を担っているとも言えるだろう」

 ―今後も琉球展を開催する可能性は。

 「もちろんある。今回は琉球王国の全体を網羅する『流動』をテーマに開催しているが、今後またどのような形で開催するか精査していく必要がある」


 鄭永昌(ゼン・ヨンチャン) 1966年、香港出身。台湾師範大学歴史研究所博士。2000年から故宮博物院所属。専門は清代史。