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8月に思うこと 上條さなえ 児童文学作家 元埼玉県教育委員長 <未来へいっぽにほ>


8月に思うこと 上條さなえ 児童文学作家 元埼玉県教育委員長 <未来へいっぽにほ> 上條さなえ
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 私は37歳の時、「ペンション村はミルク色」と「さんまマーチ」で児童文学作家として出発した。2年後、当時住んでいた埼玉県吉川町の児童館長に就任した。幸運に恵まれ次々と児童書を出版できた。11年後、文溪堂さんの依頼を受け、北海道帯広に本社がある六花亭製菓の創業者小田豊四郎氏の本を書くことになった。広大な敷地の中に建つ会社で取材させていただいた。当時会長だった豊四郎氏は穏やかな笑みを浮かべて、ご自身のお菓子作りに懸けた人生を語ってくださった。何より心に残ったのは「平和でなければお菓子は作れない」という言葉だった。1999年に「お菓子の街をつくった男」を出版できた。

 歳月が流れ、豊四郎氏の子で当時社長だった小田豊氏は会長職には就かず、食文化研究所を設立し、所長になられた。去年の春、佐喜眞美術館に「沖縄戦の図」を見に来県した。平和への思いが豊四郎氏の言葉と重なった。所長の口癖は「食べ物はおいしくなければならないし、美しくあるべきだ」である。ゆえに、一度発売したお菓子も何度も作り直す。

 ある時、送ってくれた試作中のカレーを、たまたま帰省中の娘と試食した。娘は経営学修士を取得しているが、私が「お父さんのお店、どうしたら利益が出るかな」と聞くと、娘の答えは「手打ちをやめて、袋麺にすること」だった。私は大学院の学費を出したことを後悔した。その娘はカレーを食べて「お肉とスープだけの究極のカレーね。美しくて龍安寺(りょうあんじ)の石庭みたい」と言った。

 こんな娘や全ての人々がいつまでも、平和にお菓子を食べられる時代であってほしい。

上條さなえ かみじょう・さなえ

 小学校教員を経て1987年児童文学作家デビュー。著作は60冊。幼少期にホームレス同然の暮らしを送った体験記も出版。元埼玉県教育委員長。現在は沖縄在住。50年生まれ、東京都出身。