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浦添国映館 二つの名を持つ謎の劇場 <沖縄まぼろし映画館>159


浦添国映館 二つの名を持つ謎の劇場 <沖縄まぼろし映画館>159 建設中の新『浦添琉映館』と思われる劇場。1956年ごろ(提供:比嘉栄一)
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 比嘉栄一さんは1938年生まれの83歳。17歳ごろから20代前半まで浦添市の屋富祖にあった映画館で働いた。当時の写真アルバムを見せてもらったのだが、その中の1枚を見て驚いた。男性たちが写っている写真に「浦添村国映館忘年会」と書かれているのだ。筆者は屋富祖に配給チェーン・国映系の劇場があるとは知らなかった。栄一さんはその『浦添国映館』で勤めていたという。

 以前、屋富祖で映画館を経営していた宮城三吉さんを取材した際の証言と、文献資料を照らし合わせた推測ではこうだ。49年に『浦添劇場』を建設(現・屋富祖公民館の敷地)。後に名称を『浦添沖映館』に改めた。52年8月ごろ、屋富祖通りと城間通りの交差点近くに有蓋(ゆうがい)劇場を建設したのを機にそこへ移転。53年に名称を『浦添琉映館』に変えた。三吉さんは、さらに新たな洋画系の映画館を56年ごろに建設(現・第一生命浦添支店あたり)したが、配給系列の親会社・琉映貿からクレームが入ったために、そこを新『浦添琉映館』にして古い劇場は『浦添第二琉映館』に名称変更。結果、屋富祖に「琉映館」が二つ誕生したという流れである。

 ところが栄一さんによれば、その新『浦添琉映館』こそが『浦添国映館』だという。

 「当時、屋富祖は基地に勤めるアメリカ人で賑(にぎ)わっていたので、洋画を扱う国映系の劇場を作ろうとしたのだと思います」

 『浦添国映館』の存在を裏付けるのが、61年に発行された電話帳(琉球電信電話公社刊)だ。そこには『浦添国映館』(屋富祖76)と『浦添琉映館』(同286)が住所と共に記載されているが、その住所だと古い方の『浦添第二琉映館』が『浦添国映館』となる。しかし栄一さんは「新しい劇場で国映系の映画をやっていたのを覚えている」と言う。

 栄一さんの話とこれまでの調査を整理して改めて推理すると、新しい劇場は当初『浦添国映館』として開館するが、琉映貿から物言いがつき新『浦添琉映館』に変更。しかし経営者の三吉さんはあきらめきれず、『~第二琉映館』で国映系作品の上映を続けていたのかもしれない。そのため『~第二琉映館』は『浦添国映館』とも呼ばれていたのではないか?

 『浦添国映館』の看板を掲げた写真があれば決定打となるが、残念ながら見つかっていない。謎はいまだ尽きない。

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)