〈重荷を負うて道を行く 翁長雄志の軌跡〉48 第9部 知事 「オール沖縄」で当選


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
県知事選で当選し、カチャーシーを踊る翁長雄志=2014年11月16日

 「自公体制に協力してほしい」「政治スタンスは変えられない」。2014年の県知事選を半年後に控えた5月、那覇市長の翁長雄志を自民党県連副会長の翁長政俊、公明党県本部代表の糸洲朝則が訪ねた。那覇市議時代から共に歩んだ2人との面談だったが、米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡り、両者間の溝が埋まることはなかった。

 翁長政俊は「県連というより人間的なつながりで会いに行った。那覇で彼と長い間やってきたから、私は『雄志を(知事選に)出したい』と動いていた。5月が最後の話し合いになったと思う。既に『オール沖縄』の態勢づくりに拍車がかかっていて、説得というより最終的な考えを聞きに行った」と語る。

 13年12月、知事の仲井真弘多は米軍普天間飛行場の移設に向けた埋め立てを承認した。

 雄志は「3年前に知事の政策をつくる時は選対本部長だったので、いろんな意見を交わして県外移設にたどり着いた。私はその思いは変わらない。知事の判断は大変残念だ。説明は分かりにくく、一体どの方向で解決するか分からない」と批判していた。

 年が明けると、県知事選に向けて雄志には自民、公明側と「オール沖縄」の双方から水面下で打診があった。妻の樹子は「自公は辺野古移設を『譲れない』という話だった。でもオール沖縄は共産党を含め『辺野古以外はまったく腹八分、腹六分でいい』と言っていた」と振り返る。

 5月の翁長政俊らとの面談直後の6月、雄志は那覇市議会の最大会派、自民党新風会から出馬要請を受ける。そして9月10日の市議会で「オール沖縄として、子や孫の世代に禍根を残すことのない責任ある行動が強く求められている」「これ以上の(基地の)押し付けは沖縄にとって限界であることを(政府に)強く認識してもらいたい」などと述べ、出馬を表明した。

 11月16日の投開票に向けて、雄志は社民、社大、共産などの野党各党や県議会会派の県民ネット、保守系那覇市議、経済界有志らによる「オール沖縄」の支援を受けた。辺野古移設反対の世論を背景に保革を超えた支持を集め、雄志は仲井真に10万票近い差をつける36万票余を得て当選した。

 雄志の兄・助裕の妻の翁長孝枝は「知らない人が選挙事務所にひょっこり入ってきて作業を手伝ったのも一度や二度ではない。選挙で何度も大変な思いをしたが、あれほど楽しい選挙はなかった」と振り返る。

 当選直後、雄志は早期に上京、訪米する考えを示した。辺野古埋め立ての承認手続きに瑕疵(かし)があれば承認を取り消す意向を示し、瑕疵がなかった場合は「承認撤回も十分にあり得る」と述べた。

(敬称略)
(宮城隆尋)