『神の島の死生学』 喪失感を埋める祭祀・儀礼


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『琉球弧の島人たちの民俗誌 神の島の死生学』須藤義人著 芙蓉書房出版・3850円

 著者は冒頭に、キジムナー(木の精霊)が「自然と人間の関係性をとり持っていた『象徴』であったが、その存在感は薄れてしまった」。「今まさに、神の島のコスモロジー(世界観)が揺れ動いている」と嘆く。しかし私には沖縄ではまだまだ消えゆくものに対する感謝の気持ちが強いと感じる。個人的な話だが、20年前、沖縄に移り住んですぐのこと。毎日のように塩屋大橋の話題をテレビや新聞が報じていた。花火大会、婦人会の踊り、コンサート等。「古い」橋の残骸は沖に沈められ、漁礁として利用される、と記事が出る。ははあ、これは橋が無くなることに対する抵抗運動だな、と直感した。ところが新しい橋は並行して既に完成している。するとこの騒ぎは何だ? 知人に聞くと「お世話になったからでしょう」とのこと。物が無くなるだけでこれだけのお祭りが続く。まして人が亡くなったらどうなるか。四十九日や一周忌、三周忌くらいで祖先の魂がいなくなるはずがない。

 この本を読んで風葬、洗骨、厨子甕(ずしがめ)、ウークイなどの奥底にあるものがわかった。著者によれば「『カミ』のいる世界観の追及こそが『新しいコスモロジー』を創出するてがかりとなる。(略)競争万能の市場原理主義が、社会の激烈な分断と対立をもたらした。『喉元をかき切るような競争』のはてに共同体が崩れてゆく。」

 対抗策はあるのか? 終章の神の島・霊の島では「生きるよすがとしての生態智」、「霊性のコモンズと死生観」が展開される。そこで生きてくるのがコモンズ(=共同体な人間の生活の営み方)ではないか、親しんだ人や物の喪失感を、埋める「方法」でもある。神の島で繰り返されてきた伝統の継続・再生こそが我々の生き方・死に方に確信と安らぎを与えてくれる。この本では琉球弧の祭祀・儀礼について、久高島の水神信仰・農耕儀礼、来訪神、他界信仰、オナリ神、エケリ神、そして粟国島、古宇利島の詳しい例を考察する。写真200枚と添付の映像「イザイホーの残照」はウチナーンチュの記憶遺産だろう。

 (緒方修 東アジア共同体研究所琉球・沖縄センター長)

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 すどう・よしひと 1976年神奈川県横浜生まれ。沖縄大学人文学部准教授、映像民俗学者、宗教実践者(スリランカ上座部仏教僧)。主な著書に「久高オデッセイ」(晃洋書房)、「マレビト芸能の発生―琉球と熊野を結ぶ神々」(芙蓉書房出版)など。

 

神の島の死生学ー琉球弧の島人たちの民俗誌ー (沖縄大学地域研究所叢書)
須藤 義人
芙蓉書房出版
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