知事に就任した翁長雄志は直後の2014年12月24日、「県民の要望を伝えたい」と述べて上京した。沖縄担当相の山口俊一とは会談したが、首相の安倍晋三や官房長官の菅義偉ら他の関係閣僚とは面談できなかった。15年2月に県軍用地転用促進・基地問題協議会(軍転協)の会長として上京した際も安倍、菅はともに面談しなかった。外務、防衛両省に米軍普天間飛行場の「県外移設」などを盛り込んだ要請書を提出したが、いずれも大臣ではなく事務方で対応された。
菅との面談がようやく実現したのは15年4月5日だった。雄志は普天間問題に関し「『粛々』という言葉を何度も使う官房長官の姿が、米国統治下で『沖縄の自治は神話だ』と言った最高権力者キャラウェイ高等弁務官の姿と重なる。辺野古の新基地は絶対に建設することはできない」と安倍政権を強く批判した。
雄志が14年12月に設置した第三者委員会は前知事の仲井真弘多が承認した埋め立て申請の過程を検証し、15年7月16日、承認手続きに「瑕疵(かし)があった」と答申した。国と県は8月10日、辺野古移設に関する作業を停止し、1カ月の集中協議期間に入った。同12日に菅が来県して第1回の協議が開かれたが、議論は平行線に終わった。集中協議は計5回開かれた。
副知事だった安慶田光男は「集中協議の前後に菅長官と何度も会った。代案のないものは政治とは言わないから、さまざまな話をした。その中でキャンプ・シュワブ陸上案などの話も出た」と振り返る。
安慶田によると菅は(陸上案は)「米国がノーと言っている」と述べ、安慶田は「長官、あなたが反対なのでしょう」と返した。菅は「ではあなたが直接、米側から確認するか。国防長官に会わせよう」と言ったという。安慶田は「知事に通していた話ではないのでそこ(渡米)まではしなかった。米国はSACO(日米特別行動委員会)合意から時間が経過しても移設が動いていないことに不信感があったようだ。辺野古以外は受け入れられないということだろう」と語る。それらの話は集中協議で議題にはならなかった。
集中協議は政府が辺野古移設を、県が反対を主張して平行線をたどった。9月7日、首相官邸で開かれた最終会合で雄志は安倍らに対して「全力を挙げて阻止する」と述べ、埋め立て承認を取り消す意向を示した。菅は移設作業を再開する方針を県側に伝えた。
安倍から基地負担軽減策が示されたことに対し、雄志は「私たちは時の総理や大臣から同じ話ばかり聞かされている。皆さん方は100年後に解決するつもりか」などと反発した。協議は決裂した。
(敬称略)
(宮城隆尋)