米軍戦車が突入、私の家が… 沖縄戦写真に鮮明に記録 那覇市の浜崎盛久さんが書籍から発見


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住んでいた家を米軍が壊そうとしている写真を指さす浜崎盛久さん=17日、那覇市繁多川

 私が住んでいた家を米軍が破壊しようとしている―。那覇市の浜崎盛久さん(84)はひょんなことから、米軍が撮影した沖縄戦の記録写真にかつて住んでいた自宅が収められていることに気づいた。「沖縄戦当時の話ではあるが、かつて住んでいた家を壊そうとしている。なんとも言いがたい」。戦争の傷痕は浜崎さんの心を揺さぶった。

 浜崎さんが写真に気付いたのは10月上旬。部屋の本を整理していたところ、棚から一冊の本が落ちてきた。それは沖縄戦を知ろうと、40年ほど前に浦添市牧港の洋書店で購入した沖縄戦に関する英文の書籍「Okinawa touchstone to victory」(1970年)だった。

 めくっていくと掲載されている写真にくぎ付けになった。沖縄戦真っただ中、那覇市に攻め入る米海兵隊の戦車が瓦屋根の民家に向かって突き進む様子を捉えていた。「3歳まで住んでいた家だ」。本を購入した時も気になっていたが、今回撮影場所を調べてみることにした。

「那覇百年のあゆみ」に掲載されている同じ写真。撮影場所は那覇市泊と記されている

 浜崎さんが住んでいた家があったのは那覇市泊。その家には3歳ごろまで暮らしていた。沖縄戦当時は熊本に疎開していたが、44年8月ごろまで近くの別の家に住み学校にも通っていた。

 この書籍には「泊」で撮影したとは書かれていないが、民家の左後方のビルは通っていた泊国民学校だと気づいた。手前の土地は祖父らが空手の練習をしていた空き地だとも思い出した。古い地図と突き合わせてみると「全部ぴしゃりと合った」。

 同じ写真は那覇市企画部市史編集室が発行した「那覇百年のあゆみ」にも掲載されている。そこでは「泊における米軍による掃討作戦、米軍右翼那覇市泊に突入、左に見えるビルは泊国民学校(五月十三日)」と撮影場所が「泊」だとはっきり記されていた。

 浜崎さんは「記憶は間違っていなかった。本が『俺を見てくれ』と落ちてきたのかもしれない」と驚く。同時に「戦争は二度とあってはならない」との思いも新たにした。

 那覇市歴史博物館の外間政明学芸員は「経験者が資料と巡り合っていないことがある。今後も新たな証言が出てくることがあるだろう」と指摘した。
 (仲村良太)