〈重荷を負うて道を行く 翁長雄志の軌跡〉54 相次ぐ米軍機事故に抗議


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オスプレイ墜落現場を視察した翁長雄志=2016年12月20日、名護市

 「こういう言葉は、いろんな形で人と人との絆を壊す」。知事の翁長雄志は2016年10月19日、県庁で取材に答えた。同18日、米軍北部訓練場ヘリコプター着陸帯の建設に抗議する市民に対し、大阪府警から派遣された機動隊員が「土人」と発言していた。

 用意したコメントで「かかる言葉は未開の地域住民を侮蔑(ぶべつ)する意味を含んでいる」と述べた。雄志は13年1月に「建白書」を首相に提出した東京要請行動で、県の代表団に沿道から同じような言葉を投げつけられたことを振り返った。

 「大変侮蔑的な言葉が飛んできた。聞いているうちに『沖縄はほかの都道府県と違うのかな』と感じた」「知事としてあらん限りの声を尽くして話をし、文章にし、そして会談したが、なかなか難しい」

 12月13日、名護市安部の海岸にオスプレイが墜落した。機体は海岸で大破していた。米国の事故調査報告書によると、事故は空中給油を試みた際に起きた。オスプレイのプロペラがMC130空中給油機の給油口と接触し、損傷した。

 雄志は事故翌日の14日、外務省沖縄担当大使の川田司と沖縄防衛局長の中嶋浩一郎に抗議した。「不安が現実のものとなり大きな衝撃を受けている。一歩間違えば人命、財産に関わる重大な事故につながりかねず大変遺憾だ」と述べた。

 17年に入っても米軍基地関連の事故は続いた。10月11日、普天間飛行場所属の大型輸送ヘリCH53Eが、東村高江の牧草地に不時着して炎上、大破した。現場は県道に近い民間地で、民家まで約200メートルだった。

 米軍は10月19、20日に事故機を解体、周辺の土砂と共に現場から運び出した。日本側は捜査のために内周規制線内に入ることが、ほとんどできなかった。

 12月7日、宜野湾市の緑ヶ丘保育園に米軍機の部品が落下した。米軍は落下物がCH53の部品と同じだと認める一方、当時飛行していた機体から落ちた可能性を否定した。屋根に関連が疑われるへこみも見つかっており県警が調査した。

 12月13日には宜野湾市の普天間第二小学校の運動場に米軍の大型輸送ヘリCH53Eから窓が落下した。運動場では児童54人が体育の授業中で、最も近い児童は約10メートルの距離にいた。

 当時の政策調整監の吉田勝広は「緑ヶ丘保育園の現場に行きますと言ったら『僕も行くよ』と。話を聞いて『これはおかしい』と言っていた。やるべきことをしっかりやりますと約束して帰った」と振り返る。雄志が知事を務めた3年半を「殺人も墜落もあり、沖縄の歴史を凝縮した状況だった。知事はその都度、沖縄の課題を言葉で表現した。『魂の飢餓感』という言葉には心を打たれた」と語った。

 (敬称略)
 (宮城隆尋)