沖縄各地の青年団で構成する「県青年団協議会」(沖青協)が米統治下に発行した機関紙「沖縄青年」に、これまでは発行されたことも知られていなかった15号(1960年6月10日発行)の紙面が存在することが分かった。「沖縄コレクター友の会」の翁長良明さん=那覇市=が自宅の保管庫で原紙を確認した。戦後の青年団活動に詳しい識者は当時の若者の考えや、青年団組織として日本復帰にどのような立場を表明したのかなどを知る上で貴重な資料だと指摘している。
機関紙「沖縄青年」は1号から14号までは発行されたとの記録が県青年団協議会「十周年記念 沖縄県青年団史」(60年12月30日印刷、61年1月28日発行)などに記されているが、15号以降は発行の記録も残っていなかった。
見つかった15号の紙面は表面と裏面の計2面。1面のトップ記事は、沖縄青年連合会の昭和35年(1960年)度運動方針について「平和条約三条を撤廃し、祖国復帰実現に努力しよう」と掲げた。「安保条約の解消」や「主席の公選を実現しよう」との方針も示している。
日本への渡航に制限があったことについての記事もある。米当局が好ましくないと判断した者を対象に、共産党の運動への参加有無など思想調査も含む「補助申請書」について、青年団幹部が新婚旅行をする際にも提出を求められたことも紹介した。日本復帰が実現していないことに伴う実生活での具体的な弊害も指摘している。
2面では「その後のZ機墜落事件/米軍の支払い指示額はでたらめ」との見出しで、1959年6月に起きた宮森小学校米軍ジェット機墜落事故被害者への補償の在り方に関する米軍への批判も記されている。
米統治下の奄美や沖縄の青年団活動を記録した機関誌・紙の復刻に取り組んでいる熊本大学の山城千秋教授や鹿児島大学の農中至准教授は「15号がこの世に存在していたのか否かについての記録さえない中での発見で、存在自体に非常に大きな歴史的意味がある」と指摘。「当時の若者の実態のみならず、青年組織として『祖国復帰』についてどのような立場を表明していたのか知る上で貴重な資料だ」と強調した。
(古堅一樹)