首里城再建が政治の駆け引きに使われることがないか、懸念している。玉城デニー知事は火災後、すぐに上京して政府に支援を要請したが、再建の在り方について県民の思いを受け止める過程が必要だ。
今後、自民党議員だけでなく、共産党や社民党なども一緒になって国に再建の支援を要請しに行くことになるかもしれないが、琉球が日本のナショナリズムに取り込まれてしまうことにならないか。政府は沖縄の日本復帰50年を念頭に置いて沖縄との対立や溝をどういう形で埋めていくかが念頭にあるはずだ。首里城復元を通し「日本の中の沖縄」という構図に収められないかという懸念がある。
原因究明もまだされていない中で、政府はいち早く全面支援を約束したが、沖縄と本土を分断させることにならないか。政府としては沖縄が抵抗しにくい中で恩を売ることができるが、千葉県や福島県などで被災し、家に帰ることができない人がたくさんいる。国が「全力で支援する」と宣言したことを沖縄側が手放しで喜ぶことで「被災者に行き届いていないお金を首里城に使うのはおかしい」というような批判も出てくるだろう。分断や弱者切り捨て、という新たな問題が生じることを危惧する。
首里城はただの建物ではない。先人たちがどういう思いで復元したのか、首里城を造った人たちの思いや歴史をもう一度学び直す機会だ。歴史の舞台として、奄美や宮古・八重山を含めた琉球のそれぞれの地域によって首里城がどのような存在だったのか話し合い、本物のお城を再建していく作業が求められる。
一方、琉球併合の象徴として首里城は同化に利用された。沖縄戦では日本軍の司令部が置かれたことで焼失した。今こそ、国の道具ではなく、琉球の元に戻し、自分たちで復興していくべきだ。さまざまな課題が出てきたことですぐに国の支援を頼りにしてしまった部分はあるはずだが、建材や技術、人材、費用を一つ一つ丁寧に検討し、再建していくことこそが琉球の力になる。
世界のウチナーンチュのネットワークでも「私たちのお城を再建しよう」と議論が起きている。国の枠組みで決めた復元ではなく、世界のウチナーンチュとも連携しながら私たちが主体となって復元し、琉球のアイデンティティーの象徴として首里城を取り戻すべきだ。