生活困窮から15歳で身売りされ漁師に 数々の苦難を生き抜いた96歳の平良正男さん 「自分があるのは先祖のおかげ」


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親族らに囲まれカジマヤ―を迎えた平良正男さん(中央)=10日、名護市のホテルゆがふいんおきなわ(提供)

 【今帰仁】沖縄県今帰仁村玉城に住む平良正男さん(96)のカジマヤ―祝いが10日、名護市のホテルゆがふいんおきなわで開催された。子どものころ「糸満売り」され、戦争の中をたくましく生き抜いてきた平良さんの長寿を、親族や関係者ら総勢約300人が祝福した。

 1923年生まれの平良さんは生活困窮のため15歳でウミンチュとして「糸満売り」され、台湾で漁師として働いた。

 太平洋戦争開戦後は日本海軍の水上機母艦付きの連絡運搬船で軍属として働いた。43年に帰郷すると防衛隊として伊江島飛行場建設に携わり、米軍上陸後はサバニで命からがら島を脱出したという。

 戦後はサバニで島々を回り真ちゅう類を売ったり養豚業や文房具店を営んだりして、妻花子さんとの間に生まれた6男3女を育てた。しまくとぅば継承活動や今帰仁ミャークニーの歌い手としても活躍してきた。現在も好きな鳥を飼い、自分で小屋を建てるなど若々しい平良さん。長男哲男さん(75)は「ガージューで意地がある」と語る。

 平良さん自身は長生きの秘訣(ひけつ)を「くよくよしない。大酒せずたばこも吸わないこと」と語り「今の自分があるのはご先祖のおかげ。115歳まで見守ってほしい」と笑顔を見せた。