国内のトップリフターから「人類最強」「怪物」と称された重量挙げ選手がいた。アトランタ、シドニーと2大会連続で五輪に出場した吉本久也(46)だ。169センチの小柄な体にぎっしりと詰まった規格外のパワーを武器に、日本人として初めてトータル400キロを挙げるなど、国内重量級をけん引した。
■器の違い
幼少期から体格と運動神経が抜群で、東村立東小時代に砲丸投げを始めた。小中学校の大会で県記録を次々と塗り替え、陸上の名門、那覇西高へ進学した。
高校1年の時、運命の出会いが訪れる。奥武山運動公園体育館で筋力トレーニングをしていた時のこと。当時施設の管理職員だった元五輪重量挙げ選手の平良朝治(59)=現県立図書館長=が、スクワットで170キロのバーベルを担ぎ、軽々と5回立ち上がる吉本を見て驚がくした。「持ってる器が全然違う。この脚力なら五輪に行ける」。原石に出会った興奮と同時に、日本の重量挙げ界のために「なんとしても競技を転向させないと」と義務感に駆られたという。
吉本と練習していた全国高校王者の比嘉敏彦(48)=現本部高監督=も「間違いなく人類最強」と脱帽。吉本は3年時には既にスクワットで日本代表級の285キロを担いでいた。
■「二刀流」から専念
バーベルはあくまで筋トレの一環だったが、平良からの熱烈な勧誘を受け“二刀流”に。3年時には砲丸投げで出場した静岡総体で全国2位、2カ月後の石川国体では少年男子重量挙げ100キロ級でジャークの大会新を挙げ、優勝を飾った。進路に悩んだが、小柄で手も小ぶりだったため「砲丸投げで上にいくのは厳しい」と重量挙げへの専念を決意。平良の兄・朝順(60)が重量挙げ部コーチ(現監督)を務める法政大へ進んだ。
朝順や小平紀生監督(現総監督)の指導の下、体を柔らかくし、差し上げるタイミングを学んだことで記録はさらに伸びる。全日本大学選手権で4連覇、全日本選手権も階級を変えて連覇を重ね、国内では敵なし。大学3年時の94年アジア選手権では108キロ級でスナッチ170キロ、ジャーク210キロ、トータル380キロで全て日本新を達成。95年世界選手権のジャーク優勝記録が225キロ。世界と戦える力を身に付けた。
圧倒的な強さに、当時他大学の学生からは「怪物君」とささやかれていたという。強じんな脚力は相変わらずで、体重100キロ超で垂直跳びは90センチ超え。身長169センチで「バスケのリングをつかんでましたよ」とひょうひょうと語る。
■不運の五輪
アトランタ五輪を約4カ月後に控えた96年4月、アジア選手権で3位入賞し、108キロ級で代表権を獲得した。「五輪は大学の頃から夢の世界だった」と万感の思いだった。目標に据えたのは入賞圏内に入るトータル400キロ台。当時日本人未踏の域だったが、公式戦ベストは385キロで、練習では397・5キロを挙げており、現実味のある数字だった。
しかし現地への渡航前日に練習で左手首を打撲。痛み止めの注射を打って強行出場した。スナッチは3本目で日本記録タイの170キロを成功。しかしジャークは190キロを挙げた1本目以降に腫れがひどくなり、手首が曲がらず失敗。トータル360キロで15位だった。「一瞬で終わった」と悔しさを込めるが「本番はシドニー」と気持ちは4年後へ。再び歩みを進めた。
2000年。シドニー五輪代表選考を兼ねた6月の全日本選手権105キロ以上級でスナッチ180キロ、ジャーク220キロのトータル400キロを挙げ、ついに日本人初の大台を突破。同じく日本人初となる最重量級の105キロ超級への五輪出場を決めた。「世界一の力持ち」を決める階級への挑戦。「記録更新を狙ってやる」。高みを目指し、体重を115キロまで増やした。
迎えた9月26日の本番。またも不運が襲う。スナッチ2本目で自身が持つ日本記録180キロを挙げ、続く3本目は182・5キロ。一気に頭上へ差し上げた瞬間だった。「ぶちっ」。顔をゆがめ、左膝を抱えながら後方へ倒れ込んだ。内側側副靱帯(じんたい)損傷で途中棄権。片足を引きずりながらプラットホームを降り、東村応援団の下に歩み寄って頭を下げた。「ありがとうございました」。放心状態だったが、感謝の一言だけは忘れなかった。
■「恩師のように」
爆発的なパワーに体が耐え切れず、けがが多い競技人生だったが、国内の重量級で新たな扉を開いた功績が色あせることはない。吉本を東京の自宅近くの借家に下宿させ、二人三脚で五輪を目指した朝順は「多くの選手を教えたが、パワーは間違いなくナンバーワン」と怪力ぶりを認める。朝治も「400キロを挙げ、日本人でもできるんだと思わせてくれた」と賛辞を贈る。
吉本は五輪出場を「成長しながらあの舞台にたどり着けた」と競技に対する感謝が悔しさを上回っているよう。今は故郷東村の教育委員会で職員を務めながら、近所の中学生に指導をしているという。「朝治さんみたいに一本釣りで発掘するのが自分のスタイルかな。代表に登り詰める選手を育てたいですね」とはつらつと笑った。
(敬称略)
(長嶺真輝)