首里城奉神門など公開エリア拡大 朝から多くの見物客 焼けた赤瓦、骨組みむき出しに涙する人も 「本当に燃えたんだ」


この記事を書いた人 問山栄恵
瑞泉門、漏刻門をくぐると目に入る首里城北殿。焼けた赤瓦と土台のコンクリートがむき出しになっている=12日午前、那覇市

 火災で焼失した首里城(那覇市)の公開エリアが12日、新たに拡大し、一部が焼けて骨組みがむき出しになった奉神門や北殿に近づくことができるようになった。この日は朝から県民や観光客が訪れ、間近で見る火災の悲惨さに言葉を失っていた。
 
 新たに立ち入り制限が解除されたのは歓会門や久慶門、瑞泉門、広福門、西のアザナ、銭蔵などのエリア。このうち、瑞泉門の先の漏刻門をくぐると、土台のコンクリートを残して全焼した北殿が正面に姿を見せた。崩れた赤瓦や焼けた化粧板を目にした人たちは「本当に燃えたんだ」「信じられない」と口々にした。
 

立ち入り制限が解除された首里城下之御庭から見た奉神門。北殿側は延焼し、焦げた屋根の骨組みがむき出しになっている=12日午後、那覇市

 その先の広福門を通ると、御庭に通じる奉神門に面した下之御庭に。奉神門の北殿側は焼け焦げた屋根の骨組みが露出。風が吹くとすすけたにおいがした。首里で生まれ育ったという男性(96)は「首里城は自分の家の庭というぐらい親しみを持っていた。無残な姿に涙も出ない」。夫婦で来ていた那覇市の50代女性は「やっぱり現実なんですね」と涙をこぼし「資材や技術、金銭的な課題はあると思うが、全ての建物を戦前の首里城のように木造で再建してほしい」と希望した。

 今回の利用区域拡大で、火災前の約8割が公開されたことになる。視察に訪れていた沖縄県内旅行大手、沖縄ツーリストの東良和会長は「正殿などは焼けてしまったが多くの人が首里城に関心を持ち、訪れている。再建まで残った首里城を活用し、素晴らしい琉球の歴史や文化を発信し続けなければならない」と語った。【琉球新報電子版】