「父の心の支えだった」青春が詰まった一冊を寄贈 県立農林学校・1932年卒業アルバムを北農高へ


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 父の青春が詰まった一冊を、記録として残したい―。那覇市泊の真栄城嘉昭(よしあき)さん(73)と民子さん(69)夫妻がこのほど、沖縄戦で廃校となった県立農林学校の1932年卒業記念アルバムを、北部農林高校(北農会館)へ寄贈した。アルバムは卒業直後に南米へ渡り、戦火を逃れた真栄城さんの父・嘉常(かじょう)さん(享年66)が所有していた。嘉昭さんは「海外生活が長かった父にとって、アルバムは心の支えで宝物だった」と亡き父の思いを代弁した。

 県立農林は1902年に甲種国頭郡各間切島組合立農学校として名護に発足。16年に嘉手納に移転し、23年県立農林学校と改称したが、45年に沖縄戦で校舎が全焼し、43年の歴史に幕を閉じた。

 同校28期生の嘉常さんは卒業後、叔父を頼り単身ペルーへ移住。その後、ボリビアの大都市ラパスへ渡り第二の人生を歩んでいた。だが、開戦に伴う移民への脅威を避けるため、着の身着のまま田舎への疎開を余儀なくされた。

(上)1932年の卒業記念アルバムに写る真栄城嘉常さん(下)学習風景や校内の様子だけでなく、比謝橋や栄橋など当時の嘉手納の町並みも写し出されている

 戦後再びラパスに戻った嘉常さんはチョコレートやワインの工場を営み、成功を収めた。50年代には沖縄の心を忘れまいと県人会を立ち上げたり、不安を抱えながら生活する沖縄からの集団移民の世話役を買って出たりと「常に故郷を思って生きていた」(嘉昭さん)。71年に沖縄へ戻り、80年に死去するまでアルバムを大切に保管していたという。

 「どうにか義父や、戦争の犠牲となった卒業生の生きた証しを残したい」と民子さんは、2009年に会員の高齢化を理由に解散した農林学校同窓会の渡口彦信さん(93)=読谷村=に相談し、北農会館への寄贈を決めた。民子さんは「戦前は県内唯一だった農林学校の歴史を、一人でも多くの人に知ってもらいたい」と思いを託した。

卒業記念アルバムを広げ、嘉常さんとの思い出を孫の嘉優さん(中央)に笑顔で話す真栄城嘉昭さん(左)と民子さん=18日、那覇市泊

 北農高校後援会の宮城博理事長は、県立農林時代の資料は戦争で多くが焼失したと説明。「アルバムは当時の学園や生活の様子が分かる貴重な資料」だとし、大切に保管・展示していくことを誓った。
(当銘千絵)