父の遺作は手作りの首里城 「捨てようと思ったが…」息子を思いとどまらせた火災


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎
「捨てられない」と亡き父・盛順さんが趣味で手作りした盆景の首里城を見つめる宮城秀基さん=24日午前、読谷村大湾

 読谷村の会社代表・宮城秀基さん(62)は亡き父の盛順さんが趣味で手作りした盆景の首里城を処分しようとしたが、火災を受け思いとどめている。「これまでまじまじと見たことはなかったが、よくできていると思う」。そう語る秀基さんの目から光るものが落ちた。首里城焼失によって、これまでとは異なる感情が呼び起こされている。 

 首里城の盆景は横53センチ、奥行き31センチ、高さ25センチ。つまようじやマッチ棒で正殿を組み立てており、一部は実際の色とは異なるが、細かい装飾も再現されている。龍柱などは紙粘土で手作りされており、精巧ではないものの、人の手のぬくもりが感じられる。

 秀基さんによると、材木店などを営んでいた盛順さんは手先が器用で、家では盆景に没頭していた。晩年も暇さえあれば生まれ育った読谷村の風景や昔の暮らしの様子を思い出し、紙粘土や木、砂などで手作りしていた。首里城は1992年の復元時に何度も通い作り上げたという。秀基さんは「戦前の首里城も見たと言っていた。思いがあったんだろう」と振り返る。

 盛順さんは作った盆景に執着せず、自宅にも多くの盆景が置かれていたが、作っては友人らに譲っていたという。自宅や会社にもいくつか置かれていたが、盛順さんが6年ほど前に亡くなると、秀基さんがいくつかを他の人に譲った。

 残るのは盛順さんが生まれた読谷村喜名の風景と首里城の二つとなった。喜名の風景も公民館に寄贈することが決まっていて、秀基さんの手元に残るのは首里城だけになる。

 「捨てようと思ったが、火災を見てショックだった。しばらくは置いておきたい」と語る秀基さん。盛順さんの首里城への思いもかみしめながら、盆景を見つめた。(仲村良太)