【識者談話】「戦時徴用船」700人超犠牲 雇用、待遇 不明点多く 吉川由紀氏(沖国大非常勤講師)


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吉川由紀氏

 1944年当時の沖縄の人口比率は全国の0・8%だったのに対し、亡くなった沖縄の船員数730人は、全国の犠牲者数の1・2%を占めている。人口比に対して、多くの死者を出していると言える。一方で、鹿児島県など、亡くなった船員の割合が高いところは全犠牲者数の7%近くに上るので、沖縄だけが突出して高いということではない。

 ただ、沖縄の場合はどうしても地上戦に視点がいき、海で亡くなった人たちが忘れられがちだ。今回明らかとなった戦時徴用船の船員犠牲者は戦時遭難船舶犠牲者数にも含まれていない。私たちが戦争の被害を、より多様な視点で受け止めることができるのかを考える一つの事実ではないか。

 特徴的なのは15~17歳の若い船員が多いことだ。「読谷村史」で元戦時徴用船船員の男性は、本来1年ほどかけて訓練するところを、戦争が激しくなり、船員不足のために1カ月の訓練で乗船したと証言した。

 明治時代以降、船員の置かれた環境は劣悪だと言われた。しかも、差し迫った戦況の中で、訓練もほとんど受けずに15~16歳の船員が多く乗せられており、命の感覚がまるでまひしていた。それを海で亡くなった人たちからより深く知ることができると思う。

 沖縄の船員に関して、雇用の在り方や待遇などは分からない部分も多い。今後は明治から太平洋戦争にかけての船の歴史をたどりながら、沖縄県で戦時徴用された人たちの細かい歴史を聞き取りしていくことが必要になる。