6434人の死者を出した阪神大震災から、きょうで25年を迎える。多くの人々の犠牲を悼み、震災の教訓を安全・安心な社会の実現に生かす誓いを新たにしたい。
阪神大震災の発生は午前5時46分、深さ16キロを震源とするマグニチュード7・3の地震が襲った。国内で初めて体験する大都市直下型の巨大地震だった。
全壊家屋は10万4906棟、半壊家屋は14万4274棟に上り、就寝中だった多くの人が倒れた家屋や家具の下敷きとなった。火災が同時多発的に起きて延焼し大規模化した。
高速道路の橋桁が横倒しになるなど、道路、鉄道の交通網が寸断され、被害状況の把握もままならなかった。震災による壊滅的な被害は、公共施設や住宅の耐震基準の強化など、日本の防災対策を大きく見直す契機となった。
あれから25年が経過し、震災後に生まれた世代が社会で活躍する時代となった。だが、四半世紀の歳月が流れようと、かけがえのない肉親らを失った人々の悲しみが癒えることはない。被災者の心に寄り添い、震災の教訓を何度でも語り続けることだ。
沖縄は地震が少ないと思われがちだが、それは思い込みにすぎない。2018年に沖縄地方とその周辺で、マグニチュード0・5以上の地震を2万4279回も観測している。10年2月には本島近海を震源とするマグニチュード7・2の地震があり、糸満市で震度5弱を記録した。
過去にも、「明和の大津波」として伝わる1771(明和8)年の八重山地震津波は、宮古、八重山両諸島で家屋流失2千軒余、死者計1万2千人の被害が出た。1909年には本島近海でマグニチュード6・2の地震が発生した。那覇や首里などで千カ所以上の石垣が崩壊し、十数人の死傷者を出している。
沖縄で大きな地震が起きる可能性は十分にあり、四方を海に囲まれる中で、津波の脅威は常に隣り合わせだ。災害は忘れた頃に必ずやってくるという心構えを持つことが防災の第一歩だ。
公共施設の耐震化や防災地図の作製など、行政が災害の備えに万全を期すことはもちろん、各家庭や地域でもできる取り組みを日頃から意識してほしい。
水や保存食の備蓄、家具が倒れてこないような配置の見直し、持ち出し品と靴の用意なども大切だ。自宅周辺の避難場所と経路、災害時の連絡方法などを家族で確認しておく必要がある。
高齢者の支援や被災した住民同士の物心両面の助け合いなど、地域の相互扶助を普段から築いておくことも災害時の被害軽減につながる。
気候変動による台風の大型化など、自然災害のリスクは増大している。震災の記憶を風化させず、離島県の沖縄でも災害の備えに万全を期さなければならない。