震災、思いやりの原点に 石井明美さんの人生変える 被災者支援広げNPO立ち上げ〈結 県人の歩み・阪神淡路大震災25年〉上


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阪神・淡路大震災の犠牲者を悼むろうそくの火を見詰める石井明美さん=16日、伊丹市

 夕闇の中で、6434本のろうそくの火が橙色(だいだいいろ)のシルエットを浮かび上がらせた。地震発生から四半世紀の節目を翌日に控えた16日午後5時46分。兵庫県伊丹市の昆陽池(こやいけ)公園は12時間にわたって犠牲者と同数の鎮魂のともしびに包まれた。

 追悼の輪の中に石井明美さん(65)=神戸市須磨区=の姿もあった。被災者向けのボランティア事業を手掛ける特定非営利法人「ゆいまーる神戸」の代表だ。25年前のあの日を「それまではボランティアとは無縁の主婦。震災が今の私の原点です」と回想する。

 那覇市首里出身。進学のために上京し、結婚。夫の宏明さん(66)の実家がある神戸に移り、3人の息子の子育てに励んでいた40歳の時、被災した。

 「ゴーっという地鳴りで目が覚めてすぐに激しい縦揺れがきた」。思い出したのは郷里の母親から聞いていた沖縄戦の話。「空襲だ、と。爆弾が落ちたと思った」。自宅にいた家族の無事はすぐ確認できたが、県人会で知り合った神戸市長田区に住む友人、前田雅子さん(64)のことが脳裏をよぎった。

 「長田がひどいことになってると聞いていた。心配で仕方なかった」。地震発生から2日後の19日、夫と前田さんが住む長田区を目指して自宅を出た。同区の最寄り駅手前で地下鉄はストップ。がれきを避けながら歩き、ようやくたどりついた小学校で避難していた前田さんと再会した。

 その後、県人会と連携し県人の安否確認の手伝いをするように。沖縄からのボランティアの協力も得て支援物資を避難所に届けた。

 ボランティアの輪は広がり続け、2002年にはNPO法人に。「被災者の苦しみに終わりはない。避難所から仮設住宅に移っても課題が次々出てくる」

 仮設住宅への配食サービスや老いて孤独な被災者向けのデイサービス。今年から新たに障がい者の就労支援事業を始める。念頭にあったのはボランティア活動中に知り合った、知的障がいを抱える息子2人と暮らしていた女性のことだ。

 「女性は認知症になり施設に入居した。支えになっていた母親がいなくなって家族はバラバラになった。あの時思った。私にも何かできることがあったんじゃないか、と」

 石井さんが被災者と寄り添いながら歩んだ道のり。それは「自分の役目を見つけていった25年だった」。
 (安里洋輔)

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 阪神・淡路大震災から17日で25年。沖縄にルーツを持つ県人の多くも被災した。未曽有の自然災害は悲しみの記憶と共に新たな出会いと人生の指針ももたらした。震災でつながった3家族の四半世紀の歩みを見詰めた。