海外で鍛えた精神武器 けがを乗り越え前向く ハンドボール女子・池原綾香 〈憧憬の舞台へ〉(4)


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池原綾香

 コートの右隅でその時を待ち、相手守備をずらしてきた仲間からのパスに合わせて跳ぶ。迫るGKを空中で見ながら、腕を伸ばしきるようにして最後は「しゃくる」。ボールはGKがわずかに届かない軌道を描いてネットを揺らす。池原綾香(29)(那覇西高―日体大出)は決定率の高い左利きの右サイドだ。ハンドボール強豪国デンマーク1部リーグでの「新人王」のタイトルをひっさげ、東京五輪を目指すはずだったが、試練は時期を選んではくれなかった。

 2019年1月の試合、速攻の場面。シュート後に着地した瞬間、右足が膝を支点に「いやな角度」で曲がった。前十字靱帯(じんたい)と半月板を損傷。海外2季目で相手チームからの対策が厳しくなり、模索を続ける日々に、不運がかぶさった。

 「終わったなと思いましたね」。世界女子選手権(昨年11~12月、熊本県)に出場し、東京五輪を目指すプランがにじんでいくように感じた。だが、泣きはらしたのは2日間だけ。素早く切り替えて日本で手術を受けるとリハビリに専念し、熊本での世界選手権で代表復帰を果たした。「東京五輪は人生で一度だけ。海外勢に勝ち切る強さを身に付け、メダル争いをしたい」と歩みは止めない。

■自信とスランプ

 牧港小で競技を始め、港川中でジュニアオリンピックの県選抜に選ばれた。プレーに自信を持ち始めたのは高校時代。右サイドの池原、左サイドの前田千春を得点源に2008年の全国高校総体で那覇西は準優勝を果たした。ただ、その決勝で洛北(京都)に20点差のダブルスコアを付けられ「上には上がいるんだ」と突き付けられた。

 大学は強豪の日体大へ。1年目から出場機会を得て、2010年女子ジュニア世界選手権にも出場したが、その後は「挫折が長くて、4年の時までずっと悩んでいた」という。卒業間近になると「沖縄に戻って趣味で続けた方がいいのかな」と思うようになっていた。そんな時、日体大の辻昇一監督に「日本代表として活躍する力がある」と背中を押され、女子リーグの三重バイオレットアイリスへ挑戦した。

女子ハンドボール代表候補の池原綾香

 日体大卒の先輩と激しいポジション争いをしながら、シュート決定率にこだわって結果を残すと、日本代表入りを果たす。海外チームとの合宿や、代表の外国人監督との面談を受ける中で日本を飛び出す決意が自然と固まっていったという。

 バックプレーヤーなら大柄な海外勢に日本人は体格差で劣るが、サイドなら身長158センチでも「関係なく活躍できる」。東京五輪も見据えて新たな挑戦へ踏み出す池原をチームは「首になっても戻ってくればいい」と送り出した。

■自分を変える

 デンマーク空港で、出迎えてくれたのは所属することになるニュークビン・ファルスターのファンだった。欧州でハンドは人気競技。出迎えられ、パーティーにも招待された。驚きの連続だったが「人見知りのままでは居場所がなくなる」と、シャイな自分を捨てたことで多くのファンらとつながった。試合でも大きな歓声を上げてくれる。自分を変えたことで海外の地で得がたい仲間を得ることになった。

 チームにも溶け込み、体重と筋肉を増やすことにも成功すると、初シーズンで新人王を獲得。幸先の良いスタートだったが2季目は鬼門だった。対策を講じられ成績が伸び悩む。ただ、海外勢のメンタルは日本人とは違った。

 「ミスしても次につなげることがうまい。『次に決めればいいでしょ』ぐらいに肝が据わっている」。どんな状況でも「ネガティブにならず意識を常に今に置くこと」。身に付いた精神が、けがからの復活にもつながった。靱帯の再断裂を避けるため、力の出し方も変わってきているが「試合を重ねる中で、得意なシュートの精度を上げて東京五輪までベストに持っていく」と力強い。

 昨年末、沖縄に戻って短い休暇を過ごし、小中学生を指導した。父・興信さん(56)は前を向き続ける姿に「昔は泣き虫だったのに、今は意思も体も強くなって見違えるよう」と語る。那覇西時代の下地保監督も「世界で活躍する選手になるとは本当にすごい」と感心する。

 昔は「身長が小さい自分は小さいプレーしかできない」と決めつけていた。挑戦の連続と海外へ飛び出したことで「プレーも人間性も変わることができた」と胸を張る。今年はその集大成として五輪にぶつける。一昔前と比べ日本代表は「力負けしていない。あとは肝心な場面でどれだけ勝負できるか。それが勝利に直結する」。強い思いを込めたサイドシュートで世界の壁を打ち抜く。

(敬称略)
(嘉陽拓也)