一度は倒産した沖縄の海運会社 今は県経済をけん引する存在に どうやって再建したのか?


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 県内の海運業最大手の琉球海運(那覇市、宮城茂社長)が、23日に創業から70年の節目を迎える。近年は台湾航路の開設など、国内航路だけでなくアジアを中心とした海外展開も視野に事業を拡大しているが、過去には沖縄国際海洋博覧会への投資の失敗から1976年に1度倒産し、会社更生手続きを経て再建した経緯もある。宮城社長は「苦しい時代を耐えて社の発展に貢献した諸先輩、支えてくれた県民の思いに応える取り組みを続けていきたい」とさらなる飛躍を誓う。

琉球海運が2017年に導入した最新鋭の貨物船「にらいかない2」(琉球海運提供)

 「夢とくらしと文化をはこぶ」をモットーとする琉球海運は1950年、米軍政府直轄の「琉球海運部」の業務を受託経営する形で設立された。戦後間もない時代に「沖縄の復興に必要な物資を地元の船会社で輸送すべきだ」との県民の声が高まったことを受け、全県から株式への出資を募って会社を立ち上げた。

 戦後復興に関する貨物需要や、米軍関連工事の増加などもあり、運賃収入は飛躍的に増加した。51年には鹿児島への旅客航路を設置。当時、沖縄―本土間の移動は船舶が主流だったこともあり、貨物輸送と旅客事業を中心に、経営状況は好調に推移していった。

「県民から必要とされる企業であり続けたい」と語る琉球海運の宮城茂社長=14日、那覇市西の琉球海運本社

 大きな転機となったのは海洋博での投資による倒産と、会社更生手続きによる再建だった。宮城社長は「過去の成功の延長で貨物も旅客も一手に担えると過信し、自力では立ち直れないほどの負債を抱えた。不得意分野や不採算分野に経営資源を投入してしまった」と当時を振り返る。

 大きな失敗は教訓にもなった。70~80年代にかけ、旅客輸送は船舶から飛行機に移り変わっていったこともあり、90年代からは貨物輸送に特化した業態に変えていった。社会情勢に合わせ経営の在り方を進化させ、得意分野に経営資源を集中することで次第に経営環境は好転した。

 2014年に台湾航路を開設し、19年には台湾事務所を設置。将来的には香港やシンガポール、ベトナムなどアジア展開を見据えており、航路設置の検討を進めている。近年は陸上の拠点となる物流センターを県内各地に設置し、倉庫機能や陸上輸送までカバーする体制を整えている。

 宮城社長は70年間の経験が琉球海運の大きな財産だと強調し、「県経済の発展に貢献し、県民から必要とされる企業であり続けたい。100年、150年続く企業を目指し、グループ企業を含めた総合力でサービスの向上を図っていく」と力を込めた。

(外間愛也)