沖縄の食卓に欠かせない豚肉。三枚肉を砂糖、しょうゆ、泡盛でじっくり煮込んだラフテーや、胃や腸といった中身の吸い物、豚の耳の薄切りミミガー、足を煮込んだテビチなどは観光客にも人気だ。では、なぜこれほどまでに沖縄に根付いたのか。豚熱(CSF、豚コレラ)が発生した今、あらためて沖縄と豚の歴史や琉球料理に詳しい専門家2人に話を聞いた。
「豚肉食は中国との交流の中で発展していった」。そう語るのは獣医師で「豚国・おきなわ」など豚に関する著書もある平川宗隆さん(74)=那覇市。14世紀ごろ、中国から沖縄に渡った久米三十六姓らが豚とともに調理法を持ち込んだとされ、冊封使のもてなしや琉球王朝の宮廷料理として発展を遂げた。
「養豚を劇的に発展させたのが1605年のイモの伝来だ」と続ける。雑食の豚にはイモの皮やツルが餌として適していた。豚の飼育が比較的容易になったことで、自給自足が主だった農家が豚を売って現金を得られるようになった。1700年代になると養豚がさらに広がり、市民でも正月や祭りなど節目の日に食べるようになったという。平川さんは「豚は貴重なタンパク源であり、収入源だった」と分析する。
では、なぜ豚肉がこれほどまでにも愛されるのか。料理研究家で、琉球料理保存協会の安次富順子理事長(76)=那覇市=は「沖縄料理は豚肉をおいしく食べるための知恵や技術が凝縮しているから」と語る。
例えば豚の三枚肉を使うイナムドゥチ。別の部位の肉ではうま味が足りず味が落ちるという。中身の吸い物も、胃や腸の内側の脂を丁寧にそぎ落とす。この手間が重要だという。さらに、豚の新鮮な血も炒め物のアクセントになる。
「鳴き声以外全て食べられる」といわれる豚。安次富さんは「限られた食材を最大限利用するだけでなく、一番おいしく食べるために真剣に向き合った結果、豚肉料理は愛された」と語る。
今回、県内で34年ぶりに感染が確認された豚熱。平川さんは「それ以前にも豚熱の感染は発生している。そのたびに、感染拡大を防ぎ発展を遂げたのが沖縄の養豚だ」。戦後、豚は激減したがハワイの県系人の協力で頭数はV字回復した。在来種のアグーも県民の努力で絶滅の危機を脱した。
安次富さんも「豚は沖縄の食文化の中心。豚熱が発生した今こそ、豚料理の素晴らしさを再確認する機会にしたい」と語った。