一流レーサーたちが代表2枠を争う自転車ロードレース。数百キロを一気にこぐ過酷な競技内容もさることながら、代表枠争いも激しい。選考基準となるポイント数への加算が始まった2019年、内間康平(31)=浦添中―北中城高―鹿屋体育大出、チーム右京=には好不調の波があり、選考レースに一歩出遅れたが、諦める気は毛頭ない。「現役の間に自国開催の五輪はもうないと思う。絶対に出たい」。2大会連続の出走へ。ぶれない決意で、力強くペダルを踏む。
今月13日、沖縄合宿中の内間の姿はやんばる路にあった。国道58号をさっそうと駆け抜け、ぐんぐんと山道を登る。2月に始まる新シーズンに向け、今は体力をつける時期。長い時は1日で5~6時間、200キロ超を走り込む。五輪イヤーの走り始めを故郷で迎え「沖縄はパワーの源。慣れ親しんだやんばるの道でしっかり土台をつくる」と気持ちを新たにしていた。
■負けん気の強さ
沢岻小5年で乗り始めた自転車は趣味の釣りに行く手段だった。次第にその疾走感に心を奪われ、競技者に。北中城高では持久力と登坂力を武器に、3年時の全国総体で県勢初のロード種目優勝を達成。当時中部工(現美来工科)監督で、合同練習で指導した伊礼由智(45)=現美里工教諭=は「負けん気が強かった」と振り返る。それ故に向上心も強く「希望して国体成年の選手と練習していた」という。大学でも全国制覇を経験し、卒業後は本場欧州を拠点とするチームで鍛錬を積んだ。
2016年にはリオデジャネイロ五輪に出場。新城幸也(35)=八重山高出、バーレーン・マクラーレン=と日本の2枠を県勢で独占し、内間はアシスト役にまわった。接触で途中棄権となったが「新城選手を支える役割はやり切った」と充実感をのぞかせた。ただ世界のトップ選手と「スピードの違いを感じた」と力不足も痛感した。
帰国後、さらなるレベル向上を求めてイタリアを拠点とする強豪NIPPO・ヴィーニファンティーニへ移籍。「練習時間は短いけど、質の高いメニューができた」と持久力、スピード、心理戦など多くの技術を磨いてきた。
■駆け引きで成長
東京五輪の2枠は、国際レースで得たポイントに、日本自転車競技連盟(JCF)が定める独自の係数を掛けたポイント数の合計の上位2人が選ばれる。対象は19年1月~20年5月までの大会。レベルの高い欧州の大会は係数が高い。
勝負の年となった19年、国内、アジアのレースに参戦するチーム右京に移籍。1レースで得られるポイントは欧州に比べて少ないが「街中の狭い道を走る欧州に比べ、平たんなコースを走るアジアのレースが得意」と五輪も見据えての判断だった。
現在31歳。チーム内ではベテランに入る。アシスト役の多かった欧州時代に比べ、エースを任されることも増えた。「昔は常に全力で走り、最後に離されることが多かったけど、今は出すべきところで力を使える。駆け引きでの成長を感じる」と成熟を実感する。
■挑戦続ける
19年4月にはツール・ド・イスカンダル(マレーシア)で総合2位。5月にあったフィリピンのレースはステージ2位で順調に滑り出した。しかし疲労が蓄積し、6月下旬の全日本選手権は1週間前に体調を崩して完走できず。ポイントを積む上で難しい判断だったが、3カ月間は大会に出ずに調整し、11月のツール・ド・おきなわで2位と再び結果を残した。
アタックのタイミングを計りながら、少人数による「逃げ」の状況をつくり、最後のスプリントで勝負するのが理想の形だ。「ツール・ド・おきなわではすごい感覚も良かった」と調子は上向く。現状ではツール・ド・おきなわで優勝した増田成幸(宇都宮ブリッツェン)や新城らがポイントランキングで上位に付けているが「枠を取れるように力を出し切りたい」と闘志を燃やす。
東京五輪のコースは約244キロ(パレード走行約10キロ含む)。東京から静岡まで起伏の厳しい道のりだが「チームの練習で走り慣れた道も多い。出場して大会を盛り上げたい」と奮い立つ。養ってきた全ての技術、経験を総動員し、五輪へ駆ける。
(敬称略)
(長嶺真輝)