緑十字機、破片が伊江島に再び渡る 日本の降伏使節団乗せた機体 不時着地の住民から寄贈


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伊江島に到着した緑十字機。周囲には終戦を喜び「国に帰れる」と見物に集まった米兵約5千人の姿が見られる=1945年8月19日、伊江島(岡部英一氏提供)

 【伊江】1945年8月、太平洋戦争の終戦手続きを担う日本の降伏調印使節団を乗せて伊江島に降り立った「緑十字機」の機体の一部が28日、伊江村に寄贈された。緑十字機の史実を取材する静岡県磐田市の郷土史家・岡部英一氏(68)が、伊江村と、同機が帰路に不時着した磐田市鮫島の市民団体「緑十字機の不時着を語り継ぐ会(緑語会)」に贈った。

救護した住民らから託された機体の破片を島袋秀幸伊江村長(中央)と緑語会の三浦晴男会長(左)に寄贈した岡部英一氏=28日、伊江村役場(金城幸人通信員撮影)

 緑十字機は、ポツダム宣言受諾を受けて連合国が降伏手続きのため飛行を認めた日本の軍用機。攻撃を受けないよう機体を白く塗り緑の十字を描くよう指定された。

 使節団は降伏調印の事前協議を行うため、フィリピン・マニラに向け8月19日に千葉県の木更津飛行場をたち、中継地の伊江島で米軍機に乗り換えた。当時、村民は慶良間諸島に強制移動させられていたため、緑十字機についてほとんど知らなかったという。岡部氏によると伊江島では終戦を喜ぶ大勢の米兵が出迎えた。

 マニラから戻った使節団を乗せ、同機は20日、伊江島から東京に向けて飛び立ったが、同日深夜、機体トラブルで静岡県の鮫島海岸に不時着。住民が救護活動に当たった。その時の機体の破片を持っていた住民らが岡部氏に託し、今回の寄贈に至った。

 寄贈を受けた島袋秀幸伊江村長は「鮫島の方々と友好を深め、終戦に大きな役割を果たした緑十字機の存在を周知したい」と話した。会員ら11人で伊江島を訪れた緑語会の三浦晴男会長(70)は「伊江島への訪問は念願だった。交流を深め、戦争をしない努力を共に発信したい」と話した。