県勢初快挙目指し気合 3キロ差で届かなかったメダル 重量挙げ男子・糸数陽一〈憧憬の舞台へ〉⑦


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東京五輪への熱い思いを語る糸数陽一=東京都新宿区の警視庁第八機動隊(大城直也撮影)

 初出場だった4年前のリオデジャネイロ五輪は62キロ級で試技6本を全て成功させ、男子重量挙げの日本勢最高位となる4位入賞。最終試技ではバーベルを担いだまま満足そうに頬を緩め、両手をぐっぐっと握った。しかしトータル302キロはメダルまであと3キロ届かず。「結果より内容に満足してしまった。日がたつに連れて、悔しい気持ちがどんどん大きくなった」。糸数陽一(28)=豊見城高―日大出、警視庁=の目には今、東京五輪の表彰台しか映っていない。

■悔いを糧に

 2016年8月8日、リオ。ジャークの最終試技、他選手の成績も加味し、173キロを申告すれば単独で3位に入る可能性が残っていた。しかし、選択したのは当時自身が持っていた日本記録を1キロ上回る169キロ。大舞台での全試技成功、ジャークとトータルでの日本記録更新が懸かる中で「確実に挙げられると思った重量を申告した。『失敗してもいいから』という気持ちで挑戦できなかった。心の弱さがあった」。

 後悔の念は帰国後、さらに膨らんだ。メダリストによるパレードが銀座で行われた10月7日、練習場近くのジムでランニングをしていると、備え付けのテレビ画面に偶然パレードの様子が映った。「あと3キロ挙げていれば、自分もこの場にいられたのかな」。メダルを取れた選手と、取れなかった選手の扱いの差をまざまざと見せつけられ「メダルが懸かった時に決められる選手になりたい」と闘争心にさらに火がついた。

 心残りがもう一つある。リオでは「治安に不安があったから」と母・幸子(54)を会場に呼べなかった。現地渡航前に「東京では最高の席で見てもらうから応援に来てね」と約束したことは、今も忘れていない。「まずは出場切符の獲得が最低限の目標」と東京五輪の代表選考に関わる2月の東アジア大会、4月のアジア選手権に照準を合わせる。

■量より質

東京五輪に向けて黙々とトレーニングをこなす糸数陽一=2019年11月29日、東京都新宿区の警視庁第八機動隊(大城直也撮影)

 身長160センチの小柄な体で、世界の第一線で競い合う。そのパワーは故郷の久高島で幼少期から育まれた。父の漁の手伝い、かけっこ、海水浴。1周約8キロの島全体での日常全てが、屈強な体の源をつくった。

 バドミントンをしていた久高小中学校の中学2年時、顧問の紹介で、多くの一流選手を育てた大湾朝民(73)=現県ウエイトリフティング協会顧問=と出会い、大湾が監督を務めていた豊見城高に進学した。強い脚力、バネ、肩肘の関節の柔らかさ。パワー以外の素質も申し分なく、2年時から連続で選抜、総体、国体の全国3冠を達成。日大、警視庁でも順調に記録を伸ばし、17年には世界選手権62キロ級で日本男子36年ぶりのメダルとなる銀をつかみ、名実ともに日本のエースとなった。

 しかし年齢を重ね、近年はけがが増えてもがく時期が続いた。リオの頃より練習時間を約半分に減らし「体の近くでバーベルを通し、いかに最短距離で挙げるか。頭を使った練習をするようになった」と量より質を求めた。その結果、昨年2月と4月の国際大会では五輪階級の61キロ級で日本記録を更新し、安定感が増した。

 「練習に対する姿勢が素晴らしい。妥協をしない」。男子ナショナルチーム監督の小宮山哲雄(59)もうなるその実直さは、糸数が天性の才能以外に備えるもう一つの強さの秘けつだ。

■万全を保つ

 昨年9月にタイで開かれた世界選手権61キロ級では、トータル293キロで6位。1位の中国選手は世界記録の318キロでずばぬけていたが、2位は306キロ、3位は302キロ。メダル獲得で代表が決定する大会だったため「決められなかったのは悔しい」と唇をかむが、自身の現在地を知る上では好材料となった。

 リオからは出場階級が1キロ落ち、当時挙げた302キロはメダル圏内となる。表彰台を見据え、目標を305キロに置く。「スナッチは感覚も記録も4年前より断然いい。ジャークをあの頃に近づければ見えない数字じゃない」と心強い。

 大会前後や帰省時には必ず連絡を取る大湾からは「今からたくさん練習しても大きくは変わらない。いかにけがをしないかを第一に考えろ」と助言を受ける。師の言葉を胸に「フォームの細かい動作など、一つ一つ落ち着いて練習できている」という。メダルを取れば日本男子として36年ぶり、県勢の重量挙げ選手としては初の快挙となる。「記録にも、記憶にも残る試技をしたい。メダルを取って、国民、そして県民の皆さんに恩返しをしたい」。固い決意と感謝を心身に宿し、黙々とバーベルと向き合う。

(敬称略)
(長嶺真輝)