[日曜の風]笑えない珍プレー続出 政府と国会


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 スポーツなどの珍プレー好プレーを集めた番組を見るのが好きです。特に珍プレーが好きなのですが、一生懸命に、しかも大真面目にプレーをしているなかで起こる面白い一瞬だからこそ、思わずクスっと笑ってしまい、楽しくなるのでしょう。好プレーは、日常の練習の賜物(たまもの)で、さすが!と思わせるようなものです。

 国会中継をみていると、珍プレーが続出で、笑うことすらできなくなってきました。国会は「言葉」を使って、戦いを繰り広げる場でもあります。

 それは憲法41条で「国会は国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関」とされているように、この国がどのようにあるべきかについて、大真面目に論戦をし、より良きかたちを模索し、私たちひとりひとりが機嫌よく暮らしていくためにです。

 政府や国会においても、そこにかかわる人々が説明も責任も果たさなくなっています。意味のない言葉をたくさん聞くにつれ、言葉に魂が入ってないなと感じるのです。

 古代、「言霊(ことだま)」という考え方では、言葉には霊が宿っており、その霊のもつ力がはたらいて、言葉にあらわすことを現実に実現するとされてきました。空虚な言葉には、何の霊も宿らないでしょう。

 それどころか、ウソをついたり、ごまかしたり、悪口をいったり、根拠があやしいことをいったり、やりすごすために言葉あそびをしたり、私利私欲のためだけに発する言葉は、そのようにふるまうという現実を実現することにつながっていくことになるのかとも思うのです。

 桜を見る会について「募っているけれど、募集していない」とか、日本が「2千年の長きにわたって、一つの国で一つの場所で、一つの言葉で一つの民族、126代一つの天皇という王朝が続いている国」だとか、新型肺炎が「緊急事態の一つで、改憲の実験台」にとか。いまの政府や国会は、ため息と珍プレーの宝庫です。

 そもそも、一生懸命やっているのか、大真面目なのかにすら疑問が残ります。私が国会に求めるのは珍プレーではなく、好プレーなのですが。

( 谷口真由美、法学者)