「地獄のような生活だった」 栄養失調や伝染病が蔓延する劣悪な環境で過ごした同期生、絆強く 85歳の生年祝い


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数え85歳を祝った本部中4期と伊野波中2期の同期生=1月29日、沖縄市中央のデイゴホテル

 【本部・沖縄】本部中4期、伊野波中2期同期生の計30人が1月29日、沖縄市中央のデイゴホテルで、数え85歳の生年祝い(トゥシビー)をした。戦時中、大浦崎収容所に収容されていた同期生は、お互い元気で日々過ごせていることを喜び合った。首里城再建のための寄付金も募り、5万円が集まった。

 2008年の古希以降、毎年デイゴホテルで集まっている。田中英治さん(83)は「私たちは小さな時に大変な経験をしてきた。その分だけつながりが強い」と話す。

 田中さんは1945年の沖縄戦で米軍の捕虜になった。その後同年6月、収容所に連れて行かれた。約半年過ごしたが「地獄のような生活だった」と振り返る。栄養失調や伝染病が蔓延(まんえん)し、1日に大勢の人が亡くなる日があったほど衛生環境が悪い場所だったという。

 知念一郎さん(83)は「せっかく生き延びても収容所で亡くなった人も多かった」と当時を語る。ほかの同期生も似たような経験をしたため「つながりが強い。家族のような関係だ」とほほ笑んだ。