「一生懸命頑張り続けていれば誰かが見ている」。父親からもらった言葉が伊集南(糸満高―筑波大、デンソーアイリス)の生き方の軸となっている。NBAに魅了されて始めたバスケットボール。高校まで全国大会の出場機会は少なかったが、想像力あふれるプレーが県外でも知られるようになり、年齢別代表や5人制の実業団入りを果たすなど、異色の経歴をたどった。東京五輪に採用された3人制バスケの注目株だ。「競技人生の最大目標。挑戦せずにはいられない」と、真剣な表情で語る。
■魅了するプレー
家族4人で暮らした八重瀬町後原は地域コミュニティーが密接で、活発な伊集は近所の男の子と遊ぶなかで野球を始め、新城エンジェルスの投手として活躍した。ただ、当時は中学野球からは女子の活躍の場がない。そんな時に出会ったのがNBAだった。最高峰の技術とエンターテインメントが目に焼き付いて消えなかった。設計士の父が図面を引いた家には「小さな体育館」のようなスペースがあり、見よう見まねの練習が始まった。できないことは父と研究した。
具志頭中でチームを初の県8強に押し上げた。ジュニアオールスターに選ばれ「田舎から全国にも行けた」。進学先を強豪の西原や北谷ではなく、糸満を選んだのは両親の意向もあるが、「強くないところからはい上がりたかった」からだ。当時、糸満高監督だった渡慶次茂は伊集を「ストイックな子で周囲も実力を認めていた」と語る。トリッキーなシュートやパス。相手をだますチェンジオブペース。「将来性を確信し、ガードを任せ続けた」という。糸満高は九州は経験したが、全国出場はなし。3年時のウインターカップ県予選では決勝で西原と再延長の大接戦を演じたが、残り数秒で優勝を取りこぼした。主将としての責任感から激しく落ち込むとともに「そのまま実業団にいくとつぶれてしまう」と、筑波大へスポーツ推薦で進学した。
■頑張れば評価
大学の推薦では日本協会の育成事業、U18トップエンデバーへの選出が評価された。人づてに県外まで伊集の活躍は伝わっており「渡慶次先生をはじめ、いろんな方が私を気に掛けてくれていた」。頑張れば誰かが評価してくれる。父の言葉通りだった。
大学では連係、精度の高さが求められ、質の違いに直面した。「高校で渡慶次先生から『能力に頼らず、考えてプレーしなさい』と言われたが、大学でそれを痛感した」。恩師の言葉を忘れず「チームの中で自分の良さを生かす」ことに気がつき努力が花開いていく。ポジションがシューティングガードになっても結果を残し、ユニバーシアード代表にも選ばれ、実業団のデンソーに誘われた。
入団した2012年、デンソーは初めてシーズン目標に優勝を掲げた。大卒は即戦力で「ミスも多かったけどたくさん使ってもらった」。チームは初のファイナルに進み準優勝。新人王を獲得し「Wリーグ1年目から大きな思い出とチームの新たな歴史を作れた」。
■大きなギフト
所属3年目から副主将を任され、現在7年目。3人制と両立のハードな道を歩む。「3×3に興味があり、いろんな人にやりたいと言っていた」。3人制の試合は10分間でシュートの制限時間も12秒。攻守が激しく入れ替わり、「奥が深い」と感じている。得意とする個人技を生かせると感じており、3人制での挑戦について「大きなギフト」との言葉を使った。
昨年、3人制日本代表としてアジアカップで銅メダルに貢献し、ベスト3にも選出。「日本は10分間走れる機動力が強み」と自信もつかんだが、海外勢は全員の「あうんの呼吸」で攻めてくるため、「自分たちのペースを切らさないことが重要になる」と上位進出に向け、肝要な部分を真剣な表情で語る。五輪出場には20カ国が挑む選考会(3月18~22日、インド)を突破しなければならない。「自分が五輪代表に選出された上で、予選を勝ちきり、本番前から日本は強いと世界に証明したい」と語る。
芯の強さがにじみ出る言動と、3年前は胸まであった髪をショートにしたことで周囲から「宝塚伊集」と言われるという。笑いつつ「実は結構落ち込みやすいタイプ」と明かす。仲間のことを考えすぎて「いっぱいいっぱいになることもある」と言う。それも伊集の原動力だ。「人を思いやるのはいいことだと思うし、やってきたことは自分に返ってくる。それはスポーツにも通じる。いつかくる引退まで後悔しないように1日1日をやるしかない」。努力は裏切らないとの経験を積み上げたからこそ、東京五輪で世界を魅了するまで「目の前のことにフォーカスし続ける」。
(敬称略)
(嘉陽拓也)