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「きれいな日本語で歌う」 結成時、BEGINがそう覚悟した出来事とは… 〈「うたの島」から世界へ BEGIN30年の歩み〉①

結成当時を振り返るBEGINの(左から)比嘉栄昇、上地等、島袋優=2019年12月5日、東京都渋谷区のロック喫茶「B.Y.G」

 「沖縄の人は外国人」「沖縄人は英語しかしゃべっていないんでしょ」。バイト先の人が発した言葉に胸が張り裂けそうになった。

 1980年代後半、高校卒業後に上京したBEGINのボーカル・比嘉栄昇は東京で日雇いのアルバイトをしていた。「悪気は無かったと思うが、何でそんな言葉を浴びせられなければならないのか。俺は日本人で、英語もしゃべれないのに」とショックを受けた。後にメンバーとなる高校の同期生・島袋優(ギター)と上地等(キーボード)も上京していた。「沖縄の田舎者」と思われはしないかと、コンプレックスを抱えて暮らしていた。

 栄昇はその体験を糧に、「音楽でウチナーンチュも日本人であることを証明したい」と優、等に声を掛け、バンドを結成した。「誰にも負けないくらいのきれいな日本語で歌うバンドにしようと思った」

 後に「涙そうそう」「島人ぬ宝」「オジー自慢のオリオンビール」など、沖縄を代表する歌を次々と生み出すBEGIN。現在では日本の音楽シーンに欠かせない存在だが、そこに到達するまでには3人のさまざまな葛藤があった。

 ブルースの利いたメロディーと、切ない歌詞は聴く者の心を一気につかみ、審査員にも絶賛された。1989年、BEGINはオーディション番組「三宅裕司のいかすバンド天国(イカ天)」に出演し、「恋しくて」を披露した。翌90年に華々しくデビューを飾った。(1面から続く)

 番組は沖縄では放映されなかったが、日産自動車のCMで「恋しくて」が起用され、県内でも話題が沸騰した。「デビューからブレイクまでのスピードについていけず、自分たちも何が起こったのか分からなかった」と比嘉栄昇。「沖縄からは『イカ天』の番組に出たからか、天ぷらのCMの依頼も来た」と笑う。島袋優は「石垣に帰った時は親や親戚が喜んでくれたので、音楽をやっていることが認められてほっとした」と笑顔で語る。

 一方で不安もあった。上地等は「沖縄本島を飛び越えていきなり東京でデビューしたから、沖縄の人や周りの先輩たちはどう思っているのだろうって。沖縄に帰るたびに緊張していた」と漏らした。

 BEGINの音楽には今では当たり前のように琉球音階が入っている。しかし優は「デビューして間もない頃はまだ沖縄の音を入れることに戸惑いを感じていた」と語る。「イカ天でグランプリを取った時、アンケートで『いつか沖縄の音楽とブルース音楽の融合をやりたい』と書いた。でも実際、どんな形で融合していいのか分からなかった」

 アルバムに三線の音を入れたり、ライブでは喜納昌吉の「花」を歌ったりもした。でも周囲から「それは演歌なのか、童謡なのか分からない」と言われ、「がっつりブルースをやれ」との指摘も受けた。

 沖縄と本土の温度差を感じた3人。栄昇は「当時、県外の人にとって沖縄はどこか遠い国で、三線の音も民族楽器のように聴こえたのだと思う」と思い返す。だからこの時は「ウチナーンチュも日本人である」という証明をしなくてはならないと必死に思っていた。「きれいな日本語で歌おうと覚悟を決めてバンドに取り組んだ」

 やがて時代は沖縄ブームへと移っていく。
(金城実倫)

〈「うたの島」から世界へ BEGIN30年の歩み〉②に続く
 



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