500年以上の歴史を持つ久米島紬(つむぎ)の事業協同組合が、1970年の創立から50周年の節目を迎えた。久米島紬は75年に国の伝統的工芸品、77年に県指定無形文化財、2004年に国指定重要無形文化財に認められた。産業として衰退した時期もあったが、関係者の努力で再興し、島が誇る伝統工芸品として今も町民の暮らしを支えている。組合理事長の松元徹氏に将来の展望などを聞いた。
―組合設立50周年を迎えた感想は。
「二十数年前、組合は解散の危機にあった。全国的に着物を着る文化や習慣が衰退し、反物を買い取る問屋業界の経営悪化や倒産などが相次いでいた。売掛金が回収できず、販売が成り立たないため在庫が積み上がり、組合の事業運営資金も回らなくなっていた」
「そのころ、県知事が久米島出身の大田昌秀さんだったこともあり、県や国の関係者も現状打開に乗り出してくれた。組合の経営課題を分析し、販売促進支援の補助金を出し、流通の仕組みづくりにも尽力してくれた。行政や地域、組合のリーダーの努力があって50周年を迎えられた」
―組合の現状と課題は。
「久米島紬の最盛期は1923年ごろで、年間の生産量は4万2千反。昭和初期ごろまでは島の経済の3~4割を支えていた。今は年間250~300反ほどで最盛期の100分の1にも満たず、島経済の0・5%ほどになっている。新たな製品開発などを進め、生産者が豊かに生活できる体制を構築し、将来に継承していくことが大切だ」
―久米島紬の魅力は。
「糸の泥染めや草木染めなどの染色作業、模様を付ける絣(かすり)くくりから織りの作業まで、1人の織り手が手作業で実施するという特徴がある。染色には島の原料を用いている。多くの伝統工芸の生産現場で効率化、分業化が進む中、久米島紬は昔ながらの手法で素朴に、丁寧に作り続けている。一種のアート、芸術作品と言ってもいいと思う」
―今後の展望は。
「伝統的な反物の生産、卸販売は維持しながら時代のニーズに合わせた製品開発を進める。今はかりゆしウエアや財布、名刺入れなどの小物も作っている。生産現場を観光客に見せる観光商品も売り出しており、観光産業としての地位を確立することも重要だ」
「常に技術向上を目指し、産業としての力を高め、継承、発展させることが大切だ。組合の歴史は決して順風満帆ではなかったが、過去の困難を乗り越えてきた経験が、この先も生かせる。先人への感謝と敬意を抱きつつ、次の50年、100年をつないでいく使命、責任を感じている」
(聞き手 外間愛也)