「琉球フォークの生きた歴史 歌手まよなかしんやのエッセイ集『命どぅ歌』」 沖縄フォーク歌手の軌跡


社会
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「琉球フォークの生きた歴史 歌手まよなかしんやのエッセイ集『命どぅ歌』」まよなかしんや著 刊行委員会・3300円(上下巻)

 まよなかしんやの「琉球フォークの生きた歴史」の1ページに書いてある。「2015年4月23日、朝起きたら声が出ない(超ヤバイ!)」。誰だって声が出なければ「ヤバイ」と思うが彼にとっては特にそうだ。「まよなかしんや」はフォーク歌手の芸名だ。歌えないと「まよなかしんや」でなくなる。

 いろいろ治療を受けても簡単に声は戻らない。そして彼は考えた。「以前のように歌えないなら、パソコンを使って文章を書くこと」ならできる。そうしたら「僕が『まよなかしんや』であり続ける」ことができる、と。それがこの本の始まりだ。

 本にはなぜその暗い芸名に決めたのか説明がある。1971年(「復帰」前年)だったが、歌手になり始めた琉大生大城真也はある歌詞からヒントを得た。岡林信康の『友よ』の「夜明けは近い」と米国の歌手ピート・シーガーの『夜明け前』の「夜明け前が一番暗くても/僕らは進み続けるんだ」という歌詞だ。なるほど。この芸名は状況のつらさを認めながら、希望に溢(あふ)れている。さすが!

 「復帰」になったら彼は上京し、フォーク・シーンを味わった。歌いながら日本中を回ったが、「日本のフォークの現状に絶望」し、帰ってきた。だが、その体験は「沖縄人としてのアイデンティティを見つめ直す、大事なきっかけとなった」と言う。彼のその後の歌手としての活動はほとんど沖縄の中だった(彼が歌っていないデモ行進があっただろうか)。そして彼が作曲した歌は沖縄フォークだ。

 この本には上下があり、A4サイズで600ページを超えている。1ページ目から順番で最後まで読む人は少ないと思う。それより大切な資料集だと思った方がいいだろう。書き下ろし以外、彼が70年代から参加したコンサートや集会、イベントなどのチラシ、そして新聞や雑誌・ニュースレターの記事など、あらゆる形の資料が集まっている。写真も多い。当時の考え、雰囲気を味わうことができる。そしてまよなかしんやの声が聞こえる。

(ダグラス・ラミス 平和を求める元軍人の会―琉球・沖縄国際支部<VFP―ROCK>コーディネーター)

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 まよなか・しんや 1948年、鹿児島県喜界島出身のフォークシンガー。67年、阿波根昌鴻さんの話に感動し、オリジナル曲第1作の「アカバナー」を作る。以来、50年自作自演で歌い続け、人権や平和を守る活動も精力的に行う。2015年脳梗塞で入院。現在も治療中。