中城に米軍小飛行場 沖縄戦時建設の一つ 村教委が確認、識者「貴重」


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 沖縄戦で沖縄本島に上陸した1945年4月以降、米軍が本島内に「小飛行場」を複数カ所建設し、そのうち一つが中城村当間に存在していたことが29日までに分かった。中城村教育委員会が調査を行い、県公文書館所蔵の「第13小飛行場」の写真が当間にあった小飛行場を撮影したものと初めて確認した。当間の小飛行場は周辺住民ら一部では存在が知られていたが、正確な位置など詳細がこれまで不明だった。小飛行場の詳細な場所などを示す文書も少なく、沖縄戦に詳しい吉浜忍元沖縄国際大教授は「貴重な発見だ」との見解を示した。

 中城村当間に存在していた「第13小飛行場」の滑走路の長さは約400メートル。県公文書館所蔵写真の説明によると、「第13小飛行場」は米軍上陸初期の45年5月に撮影されたことが示されている。

 小飛行場は沖縄戦で米軍が使用した軽飛行機「L―5センチネル」の離着陸に使用したとみられる。同機は戦時中、住民から「トンボ」の通称で呼ばれ、前線の偵察、物資や負傷兵の輸送などの役割を担ったとされる。

 琉球新報社は中城村教委の協力を得て、小型無人機での撮影を実施。その結果、当時から残る道の形状などから、当間集落に近い場所に飛行場があったことが鮮明となった。

 一方、県公文書館所蔵で第13小飛行場を撮影した別の写真には「沖縄本島にはおよそ20の小飛行場があった」との説明がある。研究者などの調査で名護市宮里、恩納村の万座毛付近、北中城村瑞慶覧、糸満市福地に存在が確認されているが、すべての飛行場の正確な場所はいまだ解明されていない。

 中城村教委は3月刊行予定の「戦跡マップ」に飛行場が存在していたことを掲載する。村教委の喜納大作さんは「中城村に現在、米軍施設はないが、かつて米軍が占領し、農地を破壊して飛行場が造られたことを村民に知ってほしい。普段の生活の場に、かつて沖縄戦があったことに関心を持ってほしい」と語った。

 (池田哲平)