偵察、物資輸送拠点か 中城村当間に小飛行場 米軍機「トンボ」離発着


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沖縄上空を飛ぶ2機のL―5センチネル、陸軍第10軍第163連絡中隊(県公文書館所蔵)

 沖縄戦時中に住民から「トンボ」と呼ばれ、恐れられた米軍の偵察機「L―5センチネル」は、米軍の上陸直後に造られた小飛行場から県内各地を飛び回っていた。戦争体験者からは、トンボが飛来した直後に米軍機が現れ、攻撃を受けたという証言がいくつも残っている。沖縄戦研究者の吉浜忍元沖縄国際大教授によると、米軍は占領した土地に小飛行場を造成し、トンボで前線偵察や物資・負傷兵の輸送などの任務を行っていたとみられる。

 今回、詳細な場所が明らかとなった中城村当間の「第13小飛行場」は、米軍が沖縄本島に上陸した直後に造成された。沖縄戦当時の米軍資料「アイスバーグ作戦」には小飛行場について「連絡機用の全天候型小飛行場は、可能な限り早期に建設される」と記載されている。しかし、詳細な場所などについて記述した文書は見つかっていない。

 現在、小飛行場の所在が分かっているのは合計5カ所にとどまる。吉浜元教授は「素直に考えると、上陸後に占領した地域に造成した地上戦闘用の飛行場ではないか」との見方を示した。北部や南部の戦闘に備え、占領後に後方支援のための飛行場として造成された可能性がある。

 ただ、県公文書館所蔵写真には「沖縄本島にはおよそ20の小飛行場があった」との説明も残るが、付けられている数字の番号が何を意味しているかは不明なままだ。実際にいくつの小飛行場が存在していたのかは謎に包まれている。

 (池田哲平)